酒井宏樹、愛と意欲でつかんだ定位置 なだらかな上昇線を描き、新天地に順応

木村かや子

頭の休息と危機感で「スイッチが入った」

酒井は初めてベンチからスタートしたモンペリエ戦で「スイッチが入った」と振り返る 【写真:ロイター/アフロ】

 反面、新監督の到来で、酒井には新たなテストが課された。前監督フランク・パッシの全面的信頼を得ていた酒井だが、監督が変われば、また一から信頼を勝ち取らなければならない。

「これから監督の求めるところをはっきり理解していかなければならない」と10月23日(現地時間)PSG戦後に緊張感を吐露していた酒井は、3日後のリーグカップで故障のため途中交代。次のボルドー戦を欠場した。そしてガルシア監督はそのボルドー戦で、ロッド・ファンニを右SBに、PSGで評価を高めたロランド・フォンセカを右CBに据えた。このときファンニがキャプテンを務めたこともあり、メディアの間では、ガルシアはこのままこのメンバーでいくのではという推測すらかすめた。

 酒井自身、現地時間11月4日に行なわれた翌節の対モンペリエ戦(1−3)後、「1試合休むことでポジションが奪われる可能性もあるという危機感は持っていた。そのメンバーで機能したらそのまま続きかねないし、けがをしている場合ではないというのもあった」と、複雑な心境を明かしている。

 そして彼にとってのもうひとつのキーマッチとなったのが、このモンペリエ戦だったのだ。

「(欠場した)ボルドー戦では、1試合じゃ(メンバーは)変わらないと思っていた。でもモンペリエ戦前の練習のとき、故障明けだけど一応ゴーサインは出ていたのでスタメン組だと思っていたら、そうじゃなかったんです。この監督の下では、やはりコンディションが良くないと使われないんだなと思いました。そう考えたらやばい、冬まで時間が短いから本当に頑張らないとと気を引き締めた。それがスパイスになったと思います」と酒井は振り返る。

 この試合の酒井は、今季初めてベンチからスタートしたのだが、前半にSBを務めたファンニのプレーが振るわず、後半開始から途中出場することになった。リードされていたこともあり、果敢に攻撃に出た彼は、SBとしては明らかにファンニより上のプレーを見せることに成功。後半36分には、もう少しで初ゴールという好機すらつかんだ。それを決めていれば完璧だったが、いずれにせよ、「一度休み、外から再確認して臨んだあの試合で、間違いなくスイッチが入った」という酒井は、ここから、いい気流に乗り始めるのである。

12月に起きた、地元の辛口メディアからの称賛

 3・4番目のキーマッチは、12月に行なわれたナンシー戦とリール戦だった。2節のギャンガン戦の採点「2」を例外に、15節までの酒井は仏メディアの採点で平均点よりやや悪い「4」が3度、及第点の「5」が5度、「6」が4度と、平均してそつのない及第点をとり続けていた。もちろん新聞の採点が必ずしも正しいわけではないが、かなり客観的に評する『レキップ』紙の採点などは目安になる。

 そしてチームとしての調子が上向きになった第16節のナンシー戦、第18節のリール戦で、酒井は初めて、かなり良い評価である「7」を獲得。この2試合で、酒井は攻守でいい働きを見せており、特にリール戦では、最初の2カ月間、酒井にかなり手厳しかった、地元『ラ・プロバンス』紙の記者までが、「これまでで最高の試合」と称賛し、酒井に詰め寄ってプレー向上の理由を問い正した。

 優るとも劣らず良いプレーをしたナンシー戦よりもこの試合が選ばれたのは、おそらくリール戦で、酒井が高い位置で奪回したボールが、得点に直結したためだろう。

「自分としては、ナンシー戦の方が余裕があったと思うけれど」と頭をかいた酒井は、「リール戦では、自分がボール奪回したあと、仲間が素晴らしい連係でそれを決めてくれたことによって、僕の仕事が評価された。だから、やはり大事なのはチームだなと思いますね」と言う謙虚さも忘れなかった。

「『決めれば』というところまではいっているが、まだアシストを記録していない。やはりアシストがほしい」と、満足はしていない酒井だが、いずれにせよ、上記の2試合で、最初は疑心暗鬼だった仏メディアの酒井株は確実に上昇。年末には、『レキップ』紙上で、ファンの選ぶ前半戦のベスト11の選択候補にリストアップされるまでになった。

本当のテストはこれから? 気になる冬の移籍市場

酒井はマルセイユでプレーできることを「誇り」と語った 【Getty Images】

 シーズンを6位で折り返し、ひとまず荒波を乗り越えた酒井とマルセイユだが、波はまだまだこれからやってくる。新しいオーナーと予算を得た今、冬の市場で選手を獲得するのは間違いなく、酒井も安穏としてはいられない。補強の最優先ポジションは左SBとFWだが、酒井の受け持つ右SBには、専門職の交代要員がおらず、クラブは故障したときのためにも、実力派の代役を探す必要性が少なからずあるからだ。そして現在、アーセナルで出番のない右SBマテュー・ドゥビュシー獲得のうわさもちらほらと飛んでいる。故障さえなければ、フランス代表でレギュラーにもなれる実力者のドビュッシーが来れば、当然ながら、ポジション争いは非常に厳しいものとなるはずだ。

 酒井は、「冬の移籍市場で選手を取るだろうけど、それでも試合に出られるよう頑張らなければいけない」と、覚悟を見せる。「ハノーファーでも、冬に競争相手がやってきて、一時期ポジションを奪われ、また奪い返すということをやってきた。もちろん気にならないわけではないけれど、競争相手がいることは大事なことだと思う。また疲れたまま出続けていると、さらにコンディションが落ちる。連戦が続いたときに、いい状態の選手が出るというのは、僕にとってでなく、チームにとって大切なことだから」

 自分の長所に、「どのような状況でも仲間と協力し合って戦えること」を挙げる酒井は、根っからのチームプレーヤーだ。そしてもうひとつの強みは、いつも一生懸命であるということだろう。対リール戦で、地元記者に初めて面と向かってプレーを称えられたとき、酒井はこう返していた。

「今日の僕が? ありがとう。そう言ってもらえるとうれしいし、それを決めるのは僕でなく貴方たちだけど、ひとつだけ言えることがある。僕はいつも全力を、100%の力を振り絞ってプレーしている」

 そしてもうひとつはっきりしているのは、酒井がマルセイユでプレーすることを、心底誇りに思っているということだ。

「一般の人からすれば違うのかもしれないけど、マルセイユはサッカー小僧の間では知られたクラブだと思うし、僕もそのひとりだった。ここでプレーできていることが誇りだし、20年、30年後にマルセイユの一員だったことを絶対に誇りに感じると思う」と酒井は言う。「1カ月でも長くここでプレーしたいし、いい思い出を作れるようもっともっと頑張っていきたい。チームの皆と一緒に喜びを分かち合えたら、一生の友達になれるかもしれないから」

 クラブ愛というのも、ときに武器になり得るものだ。そしてこの思いは今、ゆっくりと相愛となりつつある。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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