劇的な勝利で3階級を制した長谷川穂積  ピンチをチャンスに変えた最終章の戦い

船橋真二郎

左アッパー被打も逆に攻め込み逆転勝利

ウーゴ・ルイスを倒し、3階級制覇を達成した長谷川穂積 【写真は共同】

 勝利の瞬間、会場を埋め尽くした大観衆は総立ちになり、思い思いの歓声が大音量となって、勝者を包みこんだ。振り返って見ると、何人もの観客の目に涙がにじんでいた。

 9月16日、エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)第1競技場で行われたWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチは9ラウンド終了TKOで、35歳の長谷川穂積(真正)が5年5カ月ぶりにベルトを巻いた。まさに劇的な勝利だった。

 勝負が決した9ラウンド。長谷川はこの試合、最大と言ってもいいピンチを迎えた。チャンピオンのウーゴ・ルイス(メキシコ)の左アッパーをまともに食い、たたらを踏んで後退。ずるずるとロープを背負った。ここまで長谷川が丹念に積み上げてきたものが、崩れ落ちかねない一撃。近年の長谷川は明らかに打たれ脆くもなっている。誰の脳裏にも嫌な予感が一瞬よぎったはずだ。

 だが、長谷川は「(ルイスの)攻撃は粗かったし、僕はチャンスだと思った」と冷静に勝負所を嗅ぎ取っていた。一気にしとめにきたルイスの左右の連打に躊躇なくパンチを合わせにいく。ロープ際で足を止めての打ち合いはリスクも高いが、試合後の長谷川の言葉を証明するように、しっかりと狙っていたからこその左ストレート、返しの右フックが正確に顔面を捉え、逆にルイスを後退させた。形勢逆転の芽を一瞬にして摘み取られたことでルイスが受けた心理的ダメージも大きかったに違いない。王者は10ラウンド開始のゴングに応じることができなかった。

勝負所の見極めができる「35歳のボクシング」

大ピンチの中で勝負どころを見極め、打ち勝って勝利した 【写真は共同】

 正直なところ、長谷川の勝利は厳しいと思われていた。今から2年5カ月前の2014年4月、大阪城ホールで迎えた3年ぶりの世界戦で当時のIBF世界スーパーバンタム級王者キコ・マルチネス(スペイン)に挑み、3度のダウンを奪われる7回TKOの惨敗を喫したときは、これで終わりだと思った。昨年5月に再起し、29戦全勝21KOのオラシオ・ガルシア(メキシコ)に右足首靭帯の一部断裂を抱えながら判定勝ち、さらに同年12月に2階級上のカルロス・ルイス・マチュカ(メキシコ)に痛烈なダウンを2度奪われながら判定勝ちと、2戦続けて20代の世界ランカーを下しても、王座返り咲きを信じる材料にはならなかった。

『奇跡――』と報じたメディアもあったが、そう思わせるような一幕が試合の中にもあった。7ラウンド終盤に両者が交錯した直後、左目上から血が流れた長谷川はルイスのバッティングをアピールするが、パナマ人レフェリーは続行を促し、リングサイドのオフィシャルにジェスチャーでヒッティングを示す。インターバルには当然、「ルイスのヒッティング……」と発表された。だが、場内のスクリーンにルイスの頭が激突するシーンが映し出され、観客は騒然。一斉にブーイングで抗議の意志を示す中で、8ラウンド開始のゴングが鳴るが、レフェリーは両者をいったんコーナーに戻らせる。そして、再度映し出された決定的シーンを確認すると、なんと裁定が覆り、ルイスに減点1が課されるのである。

 会場全体が一体となって長谷川の勝利を後押しするかのような空気は、その8ラウンド終了時の公開採点で、先に78対72、76対74で2者が長谷川とアナウンスされた時点で最高潮に盛り上がった(最後の76対74でルイスのアナウンスは大歓声にかき消されてしまった)。

 観客のハートに火をつけたのは長谷川自身である。4ラウンド終了時の公開採点では39対36、38対37で2者がルイス、38対37で残りの1者が長谷川と、ビハインドで迎えた5ラウンド。「前半4つは取っているか、悪くても引き分けと思っていたのが取られていたので、ちょっと戦い方を悩んだ」という長谷川は一瞬のスキを突かれ、ルイスの右を被弾。ロープ際に後退するが、ここでも長谷川は敢然と打ち返し、左ストレートのカウンターでルイスをたじろがせていた。1ラウンドに偶然のバッティングでルイスが負った鼻柱の負傷の影響もあり(長谷川に減点1)、この一撃でさらに出血のひどくなったところを逃さず、左で追い込んでいく。場内は沸騰。6ラウンド開始のゴングと同時に自然発生的に起きたのが、この試合初めての「ホズミ・コール」だった。

「これが今、僕ができる35歳のボクシング」

 試合後、長谷川は振り返った。試合を通じて、ベースにあった“打たせずに打つ”ボクシングは長谷川の原点だが、決して過去の自分を追い求めたわけではないだろう。今の自分を徹底して見つめた上で、いかにダメージを受けないボクシングをするか。頭の位置やポジション取り、ガードを意識し、ステップで距離を外しながら、右ジャブから左ストレートを上下に打ち分けるシンプルな攻めで、じっくり試合を進めた。その上で攻めるところで攻め、その勝負所の見極めが劇的な結果を呼び込んだ。

45日前に左手親指を脱臼骨折していた

実は試合45日前に左手親指を骨折していた長谷川 【写真は共同】

 実は試合から45日前に大ピンチを抱えていた。8月上旬のスパーリング中に相手の頭部を打ち、左手の親指を脱臼骨折。その翌週には手術もした。試合も危ぶまれるような重症だったが、山下正人・真正ジム会長には「親指以外は元気なんだから、やりますよ」と即答したという。その言葉どおり、長谷川は骨折の翌日以降も右手だけで練習を続け、手術の翌日から練習を再開したのだという。痛み止めの座薬を入れながらの練習は試合直前まで続き、「左が打てるようになったのは、ここ2週間くらい。ほとんど痛みがなくなったのは今週に入ってから」と、ギリギリの状態だった。にも関わらず「この左の親指を骨折したからこそ、右をたくさん練習できたと僕は思ってるし、結果(勝利)からひとつの線として考えたとき、勝つためのけがだった、良かったと思えるような45日にしようと考えてました」という言葉には圧倒されるしかない。

 国内最年長となる35歳9カ月での世界王座奪取と同時に3階級制覇を達成したが、記録以上にこの一戦で長谷川はボクシング史上に残る唯一無二の存在になったことは間違いない。今後については「終わったばかりなんで。正直、まだ何も考えていないです」と明言はしなかったが、偉大なキャリアの最終章として、これほどの結末もないのではないだろうか。
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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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