“魔の背番号”を背負う中日・谷哲也 持ち前の堅守で1軍定着なるか
めまぐるしい中日の三塁手争い
入団から6年間は「36」を背負っていた谷。13年からは「70」を背負う 【写真は共同】
6月14日時点で、三塁手としてスタメン出場した選手は、高橋、森野も含めて計7人、エルナンデスや亀澤恭平、福田永将、2年目の石川駿といった面々に加え、背番号70の谷哲也も加わっている。一塁手で1試合、二塁手での5試合とともに、三塁手としては高橋の28試合に次ぐ10試合にスタメン出場。5月3日の阪神戦(ナゴヤドーム)では、藤浪晋太郎から勝ち越しタイムリーを放つと、同21日の巨人戦(ナゴヤドーム)でも逆転の押し出し四球を選んで勝利に貢献。鳴門工業高校、日立製作所からドラフト3巡目で入団した9年目のユーティリティープレーヤーが、必死のアピールを見せた。
続々と戦力外になる番号
この“魔の背番号”説は、現ゼネラルマネージャー(GM)の落合博満氏が監督として指揮を執っていた時期に生まれた。落合前監督の背番号へのこだわりは強い。就任当時、「7」をつけていた谷繁元信の背番号を、巨人・森昌彦(のちに祇晶)、西武・伊東勤、ヤクルト・古田敦也といった歴代の名捕手が背負った「27」へと変更させるなど、背番号との関連性を重要視していた。球団が支配下選手登録できる選手の上限が70人ということもあり、「背番号70」を付けた選手は「戦力外の一歩手前」との認識は確定的なものとなった。