再び歩き始めたザンクト・パウリの宮市亮 感謝の気持ちと、頑張る姿勢を忘れずに

中田徹

長いリハビリを終え、ようやくデビュー

長いリハビリを終えた宮市亮(左)がザンクト・パウリでデビューを果たした 【Bongarts/Getty Images】

 昨季、宮市亮はアーセナルからの期限付き移籍でトゥエンテの一員としてプレーしたが、チーム内外の高い期待に応えることができず、不本意なシーズンに終わった。捲土(けんど)重来を期し、今季は完全移籍でブンデスリーガ2部のザンクト・パウリに完全移籍し、プレシーズンで好調が伝えられたのもつかの間、左ひざの前十字靭帯断裂という大けがを負ってしまい、手術後は気が遠くなるようなリハビリの日々を過ごしていた。

 宮市にとっての復帰マッチ、そしてザンクト・パウリでのデビューマッチは、4月1日のウニオン・ベルリン戦(0−0)だった。77分、宮市投入を告げる場内アナンサーが「リョー!」と呼ぶと、3万人近い観衆が「ミヤイチー!」の大合唱。さらには拍手も送られた。このシーンを振り返り、宮市は「ウルっときましたね」と語る。

 翌、フライブルクとのアウェーマッチ(3−4)でも、宮市は72分から投入された。そして、4月16日のボーフム戦で、再び宮市はホームのミラントア・スタディオンに戻ってきた。そのゴール裏の最前列のフェンスには「亮くん おかえり」という横断幕があった。簡素な言葉の中に、ファンの愛情がたっぷりこもっていた。

 あまりに自然な日本語の表現で作られた横断幕に「誰がやったんですかね!?」と宮市も目を白黒させた。これまで宮市はホームゲームをずっとゴール裏のスタンドから見続けてきただけに、「すごくうれしかった。ゴール裏から試合を見てたんで、感慨深いものがありました」と語った。

短い時間ながら3試合連続の出場を果たす

まだまだコンディションが整っていない宮市(右)だが、3試合連続で途中出場を果たしている 【Bongarts/Getty Images】

 ボーフム戦のザンクト・パウリは、後半に入ってからストライカーのファブリスジョン・ピクルトが躍動。2ゴールを決めて、2−0とリードした。宮市の投入は84分からと、これまでの試合に比べて短かったが、それでも3試合連続の出場だ。交代直後、宮市は味方のクロスをヘディングシュートしたものの、GKの正面に飛んでしまいキャッチされた。

「ちょっと(ヘディングの)当たりが浅かったです。コースに飛んでいたら入っていたと思いますが、相手のDFも来ていたので難しかったです」(宮市)

 4−4−2フォーメーションの右サイドハーフを務めた宮市は、時折チェ・キョンロクと2トップ気味にプレーしたり、大きく左サイドに回ってみたり、まるでフリーロールのように動いた。

「みんなバテていて、自分のポジションに戻れなかったので、流動的にやってました」(宮市)

 試合はこのまま2−0でザンクト・パウリが勝利し、ボーフムを抜いて4位に浮上した。

 宮市の話を聞いていると、何人かのチームメートが近寄ってきて声をかけてきた。センターバックのラッセ・ソービヒに至っては、テレビインタビューを中断してまでわれわれの話の輪に入り「私の名前はラッセです。あなたの名前は何ですか?」と言い出す始末だ。「こんな感じでコミュニケーションをとっています」と宮市は笑う。

「チームメートは、みんな人が良いです。けがをして、みんなが辛さを分かってくれました」(宮市)

 8カ月ものブランクを経て実戦を積み始めている宮市は、「ようやくサッカー選手らしくなった」と言って笑った。手術直後で歩けなかった時期は、「サッカー、できるのかな?」と考えこんだこともあったという。体のケアだけでなく、心のケアも含めて周囲にお世話になっただけに、「いろいろな人に支えられ、感謝の言葉しかありません」と言う。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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