村田透をMLBに導いた育成システム 対照的に試合数が少ない日本のファーム
想像できなかったメジャー昇格
渡米5年目にして初のメジャー昇格を果たした村田。その背景には豊富な実戦経験による成長があった 【Getty Images】
ここに集った選手の中には、かつての甲子園の優勝投手で日本ハムにドラフト1位で入団した正田樹などのベテランもいるが、多くは若くして球団から見切りをつけられた者である。せっかく夢にまで見たプロの世界に入りながらも、試合にほとんど出場することなく、プロの世界を去らざるを得ない者も多い。
今年6月末に突如としてメジャーの舞台に現れ、野球ファンの話題に上った村田透も、2010年にトライアウトを受験している。彼は07年のドラフトで巨人から1位指名を受けて大阪体育大から入団するも、1軍のマウンドを経験することなく戦力外となっている。即戦力を期待されながらそれに応えることができず、3年目のシーズンが終わると、自由契約を申し渡された。トライアウトでも行き先が見つからなかった彼に手を差し伸べたのはメジャーリーグだった。インディアンスとマイナー契約を結んだ彼が、5年後にメジャーの先発マウンドに立つことを誰が想像しただろうか。
3A最多勝に導いた育成システム
「巨人の経験は、今に大きく生きてはいます。3年目のある時、あるコーチからボソって言われたんですよ。『いい時と悪い時の差が激しすぎる』って。学生のときはトーナメントやリーグの2カ月ほどの短い期間にピークにもっていけばいいだけでしょ。でもプロはそれじゃダメだって。だから波をなくせって。そう言われると、試合じゃなくても、自分でブルペンに入ってるときに調子の波がわかるようになりました。まあ、それってプロとしてのピッチングに対する基本ですよね」
しかし、その基本に気づいた時には、もう居場所はなくなっていた。その一方、思い切って飛び込んだ米国では自分のピッチングを振り返るに十分な機会が与えられた。
「米国の場合、ベンチ入りは25人しかいないので、チャンスは多いですね。日本だと一1軍以外に4、50人います。それだとどうしても投げる機会は減ってしまいますよね。そこの違いじゃないですかね。米国ではコンスタントに投げさせてもらいましたので、自分には合っていたと思います。たとえばマイナーだと、追い込んでから変化球を投げておけば三振を取れるバッターは多いです。でも、それじゃ先につながらない。だからあえてストレート勝負することも多かったですよ。それで打たれることもあるんですが、そこで悪かったから次がないではなく、じゃあ次どうしようって考えられましたね」
その言葉を裏付けるように、米国では毎年20試合以上の実戦の機会が与えられ、メジャーのオープン戦にも2度登板している。日本では自由契約を申し渡された3年目は、シーズン半ばの6月以降、2軍の公式戦で登板機会も与えられることはなかった。米国の場合、ケガもしないのに出番がないような状況はまずない。その前に降格させられるか、クビになるからだ。