村田透をMLBに導いた育成システム 対照的に試合数が少ない日本のファーム

阿佐智

2軍で与えられるチャンスはわずか

08年、巨人にドラフト1位で入団するがわずか3年で戦力外通告を受けた村田 【写真は共同】

 名門・PL学園から1998年に千葉ロッテに入団したものの、5年で自由契約になり、その後、米国独立リーグを踏み台に台湾球界に活路を見出した小林亮寛氏も同様の指摘をする。

「僕はイースタンリーグで5シーズン過ごしましたが、一番投げたシーズンで55イニング2/3。3年目なんか18イニング1/3ですよ。1年平均でだいたい30イニングほどしかチャンスが与えられませんでした。1カ月にすると5イニングほどですよ。それでどうやって戦力とし評価ができるのかなって疑問でしたね。そういう状況だと、マウンドでいろんなことを試すということもできなかったですね。また、チャンスが少ないだけに、多少調子が悪くても無理をして故障してしまうということもありました」

 彼は自身の経験も踏まえて、日本のファームにおける出場機会の少なさを指摘する。

「日本は若い選手が自分を試す場が限られています。例えば、巨人は3軍(正式には「第2の2軍」)を持っていましたけど、試合なんか年間数えるほどだったでしょう。選手を増やすなら、試合数も増やさないと」

 NPBの支配下選手は70人。育成選手の存在も考えると、多くの球団のファームには常時50人近い選手がいることになる。アマチュアでも大量に補欠を抱え、指導者の目にかからねば、ろくにプレー機会を与えられない日本に対して、米国では大学レベルでも、チャンスを求めての移籍は珍しくない。

 NPBでは3軍制を導入したソフトバンクが2連覇を飾り黄金時代を築きつつある。毎年多くの育成選手を取る巨人も本格的な3軍制に舵を切る。

 村田らは日本のシステムの中だけでは早々に「引退」の二文字を受け入れざるを得なかった選手である。このオフ、補強候補として村田の名を挙げたチームもあったという。3Aで15勝と言えば、「助っ人」としてやってくる外国人選手以上のレベルだ。今のところ村田本人はメジャー志向が強く、日本球界復帰はしないが、彼のような才能を埋もれたままにしているのが、日本球界の現状ではないだろうか。十分な実戦経験が与えられる米国のファームシステムを日本球界も見習う時期にきている。

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著者プロフィール

世界180カ国を巡ったライター。野球も世界15カ国で取材。その豊富な経験を生かして『ベースボールマガジン』、『週刊ベースボール』(以上ベースボールマガジン社)、『読む野球』(主婦の友社)などに寄稿している。

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