村田透のメジャー挑戦は終わらない 3Aでエース級の活躍、再昇格は近いか

阿佐智

ほろ苦いメジャーデビューも前向きに

インディアンスの先発として念願のメジャーデビューを果たした村田。結果を残せなかったが、現在は3Aでエース級の活躍を見せ、再昇格を狙っている 【Getty Images】

 村田透は、今、オハイオ州コロンバスで汗を流している。6月28日(日本時間29日)のオリオールズ対インディアンス戦でのメジャーデビューからはや3週間、騒々しかった周囲も落ち着きを取り戻し、彼は3Aで捲土(けんど)重来を図っている。

 インディアンスの先発として3回1/3で被安打4、失点5(自責点3)。負け投手というほろ苦いメジャーデビューだったが、本人の表情は決して暗くない。初めての経験をあくまで前向きにとらえている。

「あの試合での失敗は、やはりコントロールミスですね。メジャーでは甘い球は確実にもっていかれることをあらためて痛感しました」

 このセリフからは、自分本来のピッチングさえできれば、メジャーでも十分にやっていけるという自信を垣間見ることができる。

 あの夜の登板後、当初の予定通り即マイナーへ。それでも村田は、その性格がそうさせるのだろうか、その後も淡々と仕事をこなしている。

 インディアンス傘下3Aのコロンバスに合流後、中4日で2度先発し、自身が最もこだわるクオリティースタート(先発投手が6イニング以上を投げ、自責点3以内に抑えること)をきちんとやり遂げ、1勝1敗の成績を挙げて前半戦を終えた。そして、オールスターブレーク後の初戦を任されたということは、もはや3Aではエース級である証しである。この試合、村田は7回無失点で7勝目を挙げた。

米国野球の楽しさ味わい、新天地を求める

 大阪体育大学時代、大学日本一の立役者となり、そのオーソドックスな投球スタイルから「上原2世」と呼ばれた右腕は、その大学の先輩の後を追うように、2007年秋のドラフトで巨人の1巡目指名を受けた。しかし、1軍のマウンドを経験することなく3年で日本球界を去ることになる。

「引退する気なんてさらさらなかった」

 村田は、自由契約を言い渡された時のことをこう語る。新天地を米国に求めたのは、2年目のオフに参加したアリゾナでの教育リーグで米国野球の楽しさを味わってしまったからだ。

 一度は経験したはずの米国野球だったが、短期間の教育リーグとは勝手が違った。渡米した日本人投手の誰もが口にする「滑るボール」にまず悩まされた。しかし、ボールの違いを嘆いても仕方がない。気持ちを切り替え、神経質にならないことを心掛けた。また、普段からできるだけボールを持っていたり、練習の際には、あえて手を乾燥させてロージンを使わずに、その状態でも投げられるようにするなど、できるだけ慣れる努力をした。

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著者プロフィール

世界180カ国を巡ったライター。野球も世界15カ国で取材。その豊富な経験を生かして『ベースボールマガジン』、『週刊ベースボール』(以上ベースボールマガジン社)、『読む野球』(主婦の友社)などに寄稿している。

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