FC今治とLDHの結びつき 異色とも言えるコラボレーションの狙い

宇都宮徹壱

LDHの森専務に、岡田オーナーとLDHのつながりについて伺った 【宇都宮徹壱】

 FC今治を取材していて、かねてより疑問に思っていたことがある。それは、オフィシャルパートナーの中に、株式会社LDHの名があったことだ。LDHとは、EXILEのリーダーHIROさんが代表取締役社長を務める芸能事務所である。トップパートナーにデロイト トーマツ コンサルティング、オフィシャルパートナーに三菱商事、ありがとうサービス、渦潮電機といった企業名が並ぶ中、LDHの存在感はかなり際立ったものとなっている。

 岡田武史オーナーとLDHとの接点といえば、日本代表監督だった2010年のワールドカップ(W杯)直前、スイス合宿にEXILEのメンバーが応援に駆けつけたことが思い出される。このときは、てっきり代理店が独自に進めた企画だと思っていたのだが、実は岡田監督がJFA(日本サッカー協会)にLDHを紹介したと聞いて、さらに驚いた。

 岡田オーナーとLDH(あるいはEXILE)。この異色とも言える結びつきは、どのような経緯で実現したのだろうか。そしてLDHはFC今治に何を求めているのか。それを探るのが、今回の取材の目的である。インタビューに応じてくれたのは、LDHの専務である森広貴さん。ちなみに森さんの双子の兄である雅貴さんは同社の副社長を務めており、お二人は高校時代まで本格的にサッカーをプレーしていたそうだ。なお今回のインタビューには、岡田オーナーのマネジメントを務める山口睦さん(有限会社ECO−SPO)にも同席していただいた。

岡田オーナーとLDHの出会いとは?

――まず岡田さんと御社LDHさんとの接点がどこにあったのか、お話を伺いたいと思います。

 僕の兄と岡田さんのマネージャーの山口さんが知り合いで、「それなら岡田監督とうちのHIROを会わせたら面白いんじゃないか」って話になったんです。それが09年ですから、岡田さんが日本代表監督の頃ですね。

――非常に異色な顔合わせですが、どんなことを期待されていたのでしょうか?

 岡田さんとHIROが最初に会った時は、何をしようという具体的なアイデアは当初はなかったですね。お互い少し硬かったと思います。でもお酒が入るにつれて、だんだんと盛りあがりましたね。特に岡田さんは、メディアを通して少し近寄りがたい印象がありましたが、実際にお会いしてみるととても気さくな方で、いろいろ気遣いされたり場を和ませたり、という感じだったと思います。

――岡田さんとEXILEとのコラボレーションで最初に印象に残っているのが、10年のW杯南アフリカ大会直前のスイス合宿でした。あの時、MAKIDAIさんをはじめEXILEのメンバーが応援に駆けつけていましたよね?

 あれは岡田監督とHIROとの話の中で、「EXILEとして楽曲を作って日本代表を盛り上げられたら」という話になって、それで岡田監督がJFAに話を通してくださったという経緯でしたね。それで『Victory』という楽曲を提供させていただきました。

W杯南アフリカ大会直前の出陣式や合宿にはHIROさん(左から2人目)らEXILEのメンバーが応援に駆けつけた 【写真:アフロ】

――そうだったんですか! それにしても岡田さんとEXILEって、なかなかイメージが一致しないと感じるのは、私だけではないと思うんですよ(笑)。ちょっとざっくりした質問になってしまうんですけれど、ダンスとサッカーの共通点ってどの辺にあると思いますか?

 共通点ですか。やっぱり子どもたちに夢を与えられるというところですかね。それと身体を動かすことの大切さ。日本代表が活躍すれば、子どもたちも積極的に外に出てボールを蹴るようになるじゃないですか。ダンスについても同じことが言えると思います。

――山口さん、岡田さんがダンスの素晴らしさについて、何かお話されていたことってありますか?

山口 岡田さんは、自己表現することの素晴らしさについては話していましたね。11年に北海道の富良野で第2回『EXILE CUP』という大会があって、その前夜祭で岡田さんとEXILEのÜSAさんも参加するキャンプファイヤーをやったんです。その時に、参加選手の子どもたちに「自分がゴールを決めたときのポージングを自分で作ってみよう」というのをやっていたんですよ。

――へえ、それは面白い! 実際、試合でもそうしたポーズをやっていたんですか?

山口 そうですね。最近の選手って、ロボットのように淡々とプレーしていて、感情を表に出すことはしない。でも、ダンスをやっている子たちは、すごく表現力が豊かですよね。そういうダンスの素晴らしさを僕も感じました。

「ゼロから1にしていく」という共通項

「ゼロから1にしていく」という部分にLDHと岡田オーナーの共通項があると、森専務は話す 【宇都宮徹壱】

――その後、岡田さんは代表監督の仕事を終えて、中国の杭州緑城で監督を務めたり、サッカー解説者をしながらビジネス方面の方々と交流を深めたりして、FC今治を立ち上げるという話になりました。その間の御社との関わりはどのようなものだったのでしょうか?

 先ほど山口さんがおっしゃった、『EXILE CUP』というサッカー大会を盛りあげていただいて、6年も続けることができました。

――ということは、10年からスタートしたということですか?

 そうです。毎年夏休みの時期に、北海道から九州まで9地域で、それぞれ開催しています。ある程度、その実績が認められたということで、今はJFAさんの公認ということでやらせていただいています。だんだん参加チームも増えてきて、この前、長崎でやったときにも50チーム以上が参加していましたね。岡田さんには大会アドバイザーとして会場に来ていただいて、先ほど話にも出た富良野では岡田さんがやられている『自然塾』とのコラボレーションという形で決勝大会を開催させていただきました。

――なるほど。10年以降も、継続的に岡田さんとの関係が続いていたんですね。では、今治の話を初めて聞いたのはいつごろですか?

 去年ですね。決まって、すぐくらいじゃないですかね。岡田さんとうちのHIROが会食した際に聞きました。今治のオーナーになると決めた直後くらいだと思います。

――今治って聞いたとき、最初はどういうイメージでした?

 「今治でやるのか!」っていう感じでしたね。岡田さんのことですから、いろんなところから引き合いがあったと思うじゃないですか。今治って聞いた瞬間に「今治にサッカーチームってあるの?」って感じでしたし、四国リーグってイメージも湧かなかったですし。ですから、ご本人にお話を伺うまで「何でだろう?」って思っていました。でも、実際にお話を伺って「岡田さんらしいな」と生意気ながら思いました。

――どのあたりに「らしさ」を感じましたか?

 やっぱり「ゼロから1にしていく」というところですね。何かに乗っかってという形ではないところに岡田さんらしさというか、チャレンジ精神を感じました。ゼロから何かを生み出すのって、一番難しいじゃないですか。LDHも、そういうところからはじまった会社なので、感じるところがあったのだと思います。

――なるほど、確かに。ようやく岡田さんと御社、というかEXILEとの共通項が見えてきたように思います。

 岡田さんが今治でやろうとしていることは、僕らにとってもいろいろと勉強させていただいている部分が多いので、そういうところは今後のLDHにフィードバックできればとは思っています。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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