セルビアの高校球児、野球大国日本を目指す=知られざる東欧野球事情と草の根国際交流
セルビア野球は96年に産声をあげた 【(C) Tomoyuki Tatsumi】
では、日本の国民的スポーツである野球はどうか? ヨーロッパの野球大国であるイタリアやオランダほどではないにせよ、実はセルビアでも野球はマイナースポーツとして行われている。そしてこのほど、9月下旬から10月上旬にかけて、セルビアの高校球児が来日して、関西の高校生と親善試合を行う画期的なプロジェクトが進行しているのである。プロジェクトの発起人は、JICA(国際協力機構)のスタッフで現在はイラクに赴任中の辰巳知行さん。辰巳さんはベオグラードで勤務していた01年より、セルビアでの野球の普及に尽力してきた。そして彼がセルビアを離れてからも、かの国の野球人口は地味ながらも増え続け、そして今回のプロジェクトの実現に至ったのである。
とはいえ、なにぶんにも手弁当でスタートしたこのプロジェクト。現在も絶賛募金活動中であるという。私自身、野球に関してはまったくの門外漢だが、さりとて「ベオグラードで写真家宣言」した身としては、セルビアという国に対してひとかたならぬ恩義とシンパシーを感じている。本稿は、私のメールマガジン「徹マガ通巻113号」で掲載されたものだが、支援の輪をより広げるべく、スポーツナビに転載させていただくこととなった。ここでは辰巳さんへのインタビュー取材を通して、知られざる東欧野球事情をお伝えしながら、本プロジェクトへの後押しを皆さんにお願い申し上げる次第である。
知られざる東欧諸国のベースボール事情
セルビアの選手とプレーする辰巳氏(中央) 【(C) Tomoyuki Tatsumi】
あれは01年のある秋の日曜日でした。ベオグラードにおいて、日本大使館、米国大使館、それにセルビア野球チームのメンバーが原っぱでソフトボールの親善試合をすることになったんです。その当時、私はコソボで国連の仕事をしていたのですが、野球経験者ということで大使館員の方から声がかかり、ベオグラードへ出かけて行きました。
まず、あの国に野球があるということに驚きました。そして、実際にプレーをしたら、そこそこ野球になっているという、もう一段上の驚きがついてきました。で、試合後に彼らが僕のところに集まって来て、投げ方と打ち方について教えてほしいと言ってきたんですね。その場で小1時間ほど一緒に練習をしたところ、「セルビアに来てコーチをしてくれないか」と真剣なまなざしで頼まれました。
――なんだか「アパッチ野球軍」(1970年代のアニメ)みたいな展開でワクワクします(笑)。それで引き受けたわけですね?
実はこの時、数カ月後にコソボからベオグラードへ移ることが決まっていましたので、そのことを伝えるとえらく喜んでくれました。それが、セルビア野球との長い付き合いの始まりになりました。練習は週に1〜2回、試合は毎週末という具合で、いきなり生活が野球漬けになりましたね。当時、国内リーグは3チームしかなく、私は「ベオグラード96」というクラブチームに選手としても登録していたので、国内のリーグ戦と近隣諸国とのインター・リーグ(クラブチーム対抗戦)への参加などで、週末はほとんどユニホームを着ていました。
――近隣諸国というのは、どのあたりですか?
クロアチアやスロベニア、あとはハンガリー、ブルガリア、スロバキア、オーストリアなどは陸路で遠征しましたね。クロアチアへの遠征の時などは、旧ユーゴ紛争の経緯などもあり、陸路で国境を超える際にバットを没収されたり、試合会場では安全措置のために警官がぐるりと球場を取り巻いていたり、なんてこともありました。当時はまた、国が疲弊していた時代でしたので、遠征先では学校の体育館を借りて、体操用のマットを敷いて寝るということもありました。それでも近隣諸国への遠征試合は最も野球らしい野球ができる機会ですので、代表メンバーも私も楽しみにしていました。
――セルビアをはじめ東欧諸国で、マイナースポーツとはいえ野球が行われていることは、非常に興味深い話です。実際、現地での盛り上がりはどんなものなんでしょうか?
超マイナースポーツですので、非常に限られた人たちの間で盛り上がっているという感じでしょうか。普通のセルビア人に野球の話をすると、おおむね「セルビアでも誰かやっているの?」という反応が返ってきます。それくらいマイナーです。それでも現在、セルビアにはクラブチームが9つ、そのクラブチームにぶら下がる形で少年野球チームが8つあります。かなり多く見積もっても、野球人口は500人に満たないでしょう。ただし10年前と比べると、クラブチーム数は3倍になっていますし、子どもたちにも広まりつつあります。
ベオグラードの「フィールド・オブ・ドリームス」
来日する高校生セルビア代表(チェコ遠征時) 【(C) Tomoyuki Tatsumi】
グラウンド・コンディションが大事だ、ということを伝えることでしょうか。私が参加し始めた頃、球場はただの原っぱでした。内野ゴロがジグザグに飛んできて、日本の常識ではまず硬式野球ができる状態ではありませんでした。グラウンドがこれでは、あまりにも危険ですし、守備の基本を身に付ける以前の話です。
でも、彼らにとってはそれが当たり前なんですよね。そういったグラウンドで、必死にボールを追いかける訳です。いろいろな制約から、すぐに日本の野球場のようになるとは思えませんでしたので、やっているうちに私も慣れてしまいました。すると「こういうのもありかな」と思えてくるから不思議ですよね(笑)。よくけがをしなかったものです。ただ、その後は少しずつグラウンドの雑草は減り、フラットに近くなっていきましたね。ついには内野に芝を入れて、ダイヤモンドには赤土が入りました。この過程には数年を要しましたが、今は本当に野球場らしくなりましたよ。
――まさにベオグラードの「フィールド・オブ・ドリームス」ですね(笑)。ところで野球の場合、バットやグローブなど、道具を集めるのが大変だと思います。その点でもご苦労があったのではないでしょうか?
そうなんですよ。野球道具はセルビアでは手に入りませんので、スロベニアの野球仲間に頼んで、イタリアから購入していました。スロベニアにはよく試合に行きますので、その際にまとめて回収する感じです。もう少し野球人口が増えてくれば、セルビアにも野球ショップがオープンできるかも知れませんが。
――ルールに関してはどうでしょう? 野球のフランス代表を指導した元阪神の吉田義男監督も「送りバントの重要性を教えるのに苦労した」という話を聞いたことがあります
ルールについては皆、よく知っていますね。メジャーリーグのウェブサイトで、試合は有料で見られますので、それが大きいですね。また、送りバント、ヒットエンドラン、スクイズなどを状況に応じて使っていましたが、選手が抵抗を感じているようには見えませんでした。このあたりの「自分が死んで味方を生かす」という感覚は、セルビア人には結構しっくりくるのかも知れません。武士道とか好きな人も多いですし。
――なるほど。それにしても、サッカーに限らずどんなスポーツでも、普及と発展には底辺の拡大が重要です。セルビアの野球に関してはいかがでしょう?
セルビアで野球が産声を挙げたのが96年です。当初、野球をやっていたのはほとんどが成人で、あとは大学生、高校生が2〜3割という感じでした。やはり子供たちに広まらなければ、その国の野球も育っていきません。私も滞在中は、そこまで手が回るとは思えませんでしたので、ほとんど言いっぱなしでしたが、先ほど言いましたように少年野球チームがいくつか設立されているようなので、非常にうれしく思っています。
また、でこぼこのグラウンドが芝生のダイヤモンドになったり、新しいクラブチームが設立されたりするのを見ていると、野球が少しずつ育っていく過程を見ているようでとても感慨深いです。このようにして野球が世界各地で根を下ろしてゆけば、五輪競技として復活するんじゃないかな、などと少し大きなことを考えたりもします(笑)。