【FC東京】“戻ってきた”漢が熱い! 木村誠二は成長したのか?
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「うれしいことと、悔しいことの両方があった。AFC U23アジアカップカタール2024優勝やパリ五輪出場があった裏で、期限付き移籍先のサガン鳥栖では悔しい結果に終わった。そんな両極端な経験を同じシーズンですることはなかなかないと思う。精神的にも右に左に心が揺さぶられた。でも、シーズンを通じて試合にも出続け、色々な人に支えてもらいながらプレーできた。それは、代え難い経験だったと思います」
FC東京の歴代アカデミー出身選手のなかでも傑出した身体的能力に恵まれ、将来性を高く評価されてきた。トップチーム昇格後は京都サンガF.C.、SC相模原、モンテディオ山形と三度の武者修行を経験。飛躍を期待された、2023シーズンが一つのターニングポイントだったのかもしれない。そこで、八方塞がりに陥った。
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開幕前に行われたツエーゲン金沢とのトレーニングマッチで犯した一つのパスミスから序列を下げてポジションを失った。開幕後の主戦場はカップ戦だったが、限られた出場機会でも結果を残せず。鬱々と過ごす日々に悩まされた。目標に掲げていたパリ五輪本大会が一年後に迫り、「パリ五輪に出るためにはJ1で試合に出なきゃいけない」と、焦りの色を濃くさせた。
迎えた2024シーズンの五輪イヤーを前に、サガン鳥栖への期限付き移籍という大きな決断を下した。周りの先輩から「お前の強みはその恵まれた身体なんだから、まず守備を頑張ればいい」とアドバイスも受けたが、「どうせなら欲張りになろうと思った」と言ってこう続ける。
「サガン鳥栖が川井健太監督(当時)の下で攻撃的なサッカーをしていることは分かっていた。ビルドアップに自信がない状態でそこに飛び込んで、どれだけ上達できるのかも本当に楽しみでした。自分の攻撃で足りない部分を求めていた。攻撃で余裕がないから守備でも圧迫感を受けていると感じていたので」
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「練習のなかで、ボールを最終ラインから運び出したり、立ち位置のとり方を教えてもらえた。運んで、周りにパスコースがなかったらもう1回下げてやり直すとか。周りからもっと前見ろよとか早くつけろとか言われることもなくて、ストレスなく自分のやりたいことを色々試せる機会がたくさんあった。ちょっと高い位置をとってみようとか、それだと難しいからもう少し低い位置をとり直そうとか。そういったことを普段の練習から試しながらできていた」
夏前には定位置を確保。パリ五輪本大会のメンバーにも名を連ねた。夢舞台で手にした自信がさらなる成長曲線を描かせた。
「一番大きく変わったと思えたのは五輪の経験でした。グループステージ初戦のパラグアイ戦はそれほど手応えがあったわけではなかった。でも、そこでの反省を生かして第3戦のイスラエル戦で、それを試すことができた。五輪の舞台で、そうやって自分を試す余裕ができたことも大きかった」
結果的に、パリ五輪ではスペインに準々決勝で敗れた。そのスペインも同世代のスペイン代表らを欠き「自分がどれだけ世界のトップレベルに近づけていないかを痛感した」と言う。それでも、自らの成長も実感し、「やるからには自分がどこまでいけるか知りたくなった」と視野を広げ、視座を高くした。
持ち帰ったものは大きかった。「余裕を持ってプレーできるようになったのは五輪から帰ってきてからでした」。だが、残留争いに巻き込まれたチームは、勝利から見放されてしまう。それまでの喜々として一年の成長を語ってきた表情は陰を落とし、唇を噛んでこう言葉にした。
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その悔しさから「今後のサッカー人生にとって大事な一年になった。試合に出て勝つところまでをより強く意識したい。チームが傾きそうになったら声を掛けたり、プレーでカツを入れられる選手になりたい」と、言わせた。
何を求め、何が必要か。養われた審美眼で、定位置奪取に本気で挑む。ライバルは多い。でも、誰よりも新たなシーズンの彼に期待しているのは彼自身なのかもしれない。
「やれる自信はあるし、それが過信だとも思っていない。もしかしたら周りにも一年間で色々成長できたところがあると思ってもらえているかもしれないし、自分でも思っているところがある。それでも通用しなかったらまた頑張ればいい」
鳥栖で身につけた新たなプレースタイルを余すことなく披露する。「もちろん勝つことが一番ですけど、引き分けても負けても『良い試合だった』、『面白かった』、『面白いサッカーだった』と思ってもらえたり、次につながるような熱いプレーをしっかりチーム全員でできるようにしたい」。木村誠二は一年で成長したのか。その答えはもうじき出る。
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