早朝から農作業、夜は練習。農業ハンドボールチーム、大変でも「引退後も農業を続けたい」理由

チーム・協会

【写真提供:ゴールデンウルヴス福岡】

福岡県糸島市に、ハンドボールクラブ「ゴールデンウルヴス福岡」の選手が汗を流す農場がある。選手はチームを運営する株式会社の社員として就農。選手兼社員が人手不足の一次産業で生計を立て、ハンドボーラーとしてプレイできる環境になっている。朝は早朝から農作業。夜は体育館で練習。「厳しい環境」と最初は抵抗を感じる選手がほとんどというが、引退後に農業の道を歩む選択をする選手も多い。異色の組み合わせで社会課題を解決しようとするゴールデンウルヴス。夢に向かう現在地を伺った。

農家と同じ農業

日焼けで真っ黒になった肌、コートの上ではユニフォームが同じでも相手チームと見分けがつくという 【写真提供:ゴールデンウルヴス福岡】

福岡市博多区から西に20㎞。福岡県と佐賀県の県境にある糸島市に農場はある。広さは8ヘクタールで、年間を通じてキャベツやダイコンなど様々な種類の野菜や果物を育てている。

「誰かの畑を一部お手伝いするとかではなく、一から全て自分たちでやっています。普通の農家と同じです」と話すのは、選手たちが所属する「株式会社ゴールデンウルヴス福岡」で代表取締役社長を務める山中基氏。

選手たちは、栽培する野菜の種類選びや計画の策定を行い、種まきから収穫、出荷、販売まで全てを自分たちでこなしている。

チームを発足したのは、自ら立ち上げたバイオベンチャー企業で代表を務めていた泉可也氏。東京を拠点にしていたが、2011年に東日本大震災で被災。地元である福岡県に戻った際にかねてより興味のあった農業で新規事業を始めようと考えた。

糸島市を候補地にしたが、そこで目の当たりにしたのは農業に降りかかる高齢化と担い手不足の窮状だった。「しっかりと担い手を確保しないといけない。若年層に農業をしてもらうためにはどうするか」。考えた末、自分自身も大学時代にプレーしていたハンドボールのチームを立ち上げ、選手に農業をしてもらおうと考えた。

2015年にゴールデンウルヴスの前身となるチームが発足。着実に勝利を重ね、設立からわずか4年後の2019年に現在所属しているトップリーグ参入が決定した。
昇格に伴って新たな監督探しを始めた泉氏。目を付けたのは、広島県にある製薬会社の実業団チームで選手を引退し、監督になることが決まっていた山中氏だった。誘いを受けた山中氏も「新しいチームでチャレンジをしてみたい」と、それまで現役時代を過ごしたチームを離れる決断をした。

観客席に「師匠」である農家の姿

ハンドボールをプレーする選手 【写真提供:ゴールデンウルヴス福岡】

福岡のホーム試合はトップリーグ参入当初から無料で行っている。

「有料で体育館を借りた場合、無料で借りた場合の数十倍のお金がかかってしまいます。有料開催して会場費用をまかなおうとした場合、入場料は5000円くらいになりますね。近くの福岡ソフトバンクホークス(プロ野球)が3000円の席を用意している時に果たしてそうした価格設定ができるのか。来場者数を考えても無料で赤字幅を小さくした方がいいという判断をしています」(山中氏)

無料で開放した客席を埋めているファンの中には農業を通して知り合った人たちの姿があるという。

農業未経験者ばかりの同社では、協力してくれる県内農家に新入社員を弟子入りさせることが恒例だった。
今は経験を重ねた選手が増えたことを受け、昨年からは選手が若手の農業を支援できる体制が出来上がった。それでも農家との関係は続いているという。

「この関係性が築けたのは、選手たちが誠実に農業に向き合って信頼関係を築いてくれているからだと思っています。子弟というよりは親子のような関係です」

また、選手たちは育てた野菜を使った食事を子どもたちに100円で提供する食堂を不定期で開催していて、そこで知り合った子どもたちもコートに駆けつける。山中氏は「あ、料理作ってくれたお兄ちゃんだ」の声がうれしいという。

収穫の喜び、変わる農業のイメージ

収穫に励む選手。苦労が実る喜びの瞬間だという 【写真提供:ゴールデンウルヴス福岡】

農業はデスクワークと違い、自然の都合に合わせて仕事のスケジュールが決まる。そのために季節や野菜の旬などによっては厳しい日程も生じてしまう。

リーグの開催期間は9月~5月。時期によっては農業の繁忙期にぶつかるという。
「12月は福岡でお正月に食べられている『かつお菜』という野菜の栽培が忙しいです。5月はリーグ終盤の佳境ですが、この時期は全ての野菜が入れ替えなので、勤務時間にも影響します」と山中氏は話す。

外仕事のため、気候も無視できない要素になる。夏は暑さを避けようとすると必然的に労働時間が早まってしまう。

「暑くない時間に働こうとすると、始業は午前5時くらいになります。日中は熱中症になってしまうので、10時くらいから休憩にして昼寝してもらったりしています。そのあと午後3時くらいから再開し、農作業が終了した後で夜から練習になります。日付が変わる直前に帰宅して翌朝そこから仕事ということになるので厳しいのは言うまでもないでしょう」

こうした状況は入団前の選手にはどうしてもマイナスに映るという。

「入団(入社)していただく選手は、ほとんどが(会社から)スカウトをしていますが、『農業』『朝が早い』という話を聞くと最初は多くの方が前向きではないですね」(山中氏)

4年前にチームに加入した半田亮佑選手も「朝が早いことや農作業自体に抵抗がなかったと言えばウソになるかなと思います」と話す。
6年前に大学の部活の監督の紹介を通じて入団を決めた伊藤極選手は、元々農業高校の出身で、大変さについては理解をしていた。それでも作業によっては堪えるものがあったという。
「キャベツは冬に収穫するのですが、葉っぱが凍っているので長時間触っていると霜焼けになります。手の感覚もないので、誤って刃物で手を切ってしまったこともありました。苦労しながら大切に育てている野菜なので、イノシシやシカに蹴られたりぐちゃぐちゃにされると本当にむかつきます」と笑う。

野菜嫌いを克服する子どもがいるほどに色鮮やかで甘みのある野菜 【写真提供:ゴールデンウルヴス福岡】

ただ、自分たちで育てた作物のおいしさはひとしおという。

「初めてイチゴを作った時、出来栄えが不安でした。でも、食べてみたらちゃんと甘かったんですよね。それ以降、イチゴが好きになってしまいました」(伊藤選手)

半田選手も「初めての収穫で野菜を手にした時、『これは自分が作ったものなんだ』って感覚が湧き上がってきました。食べた時も本当に感動しました。埼玉県の実家に収穫した野菜を送るのですが、母がおすそ分けした先からも好評だからもっと欲しいと言ってきてうれしくなりましたね」と話す。

2年目以降にコツがつかめるようになると、力を入れるところと少し緩めてもいいところも分かりだすという。きっちりとした就業時間に縛られない働き方も魅力になっているようだ。

2人は今、関連企業の事務職に異動になっているというが、引退後の道として農業を選択肢の一つにしていると話す。

厳しい中での勝利にこそ意味がある

ジャガイモの収穫の様子 【写真提供:ゴールデンウルヴス福岡】

「糸島のこの光景が全国的に起きているなら、食糧危機になってしまうのではないだろうか」

ゴールデンウルヴスが農作地の拡大を進める一方で、まかなうには余りある放棄地が発生していると山中氏は話す。「農家さんから直接辞めると聞くこともあれば、昨年まで使われていた畑の雑草が突然手入れされていないのを見て『放棄地になってしまったんだな』と思うこともあります。周囲を見渡すとどんどん農家は減っている。我々で畑や田んぼを引き継ぎたいとも思いますが、限界があるんです」

ゴールデンウルヴスは選手ら約20人と山中氏ら試合の現場からは離れているメンバーで農業を行っている。「アウェイゲームや遠征で選手たちがいなくなると、残された我々だけで農作業をすることになります。今でもギリギリですが、これ以上農作地を増やすと炎天下で1日中水やりをしなければいけなくなったりしてくると思います」と語る。

だからこそ、現役選手が農業をするだけではなく、引退した選手やゴールデンウルヴスを見て農業に興味を持った人が新規就農者になることが重要だという。 そして、山中氏はゴールデンウルヴスを通じて農業の魅力を伝えるためには、両立することで背負う困難な状況こそが武器になると信じている。

「野菜に我々の都合は関係ないので、朝収穫して午後試合に臨むことだってあります。ですが、そうした相手よりも明らかに不利な状況で勝つことにこそ意味があると思うんです。コート上の彼らは敵と同じユニフォームを着ても、日焼けですぐにウルヴスの選手と分かります。コートに立つ姿こそが何よりも農業とハンドボールに真剣に取り組む彼らの生活を物語っています。逆境をものともせず黒々とした彼らが勝った時、観客の中にある農業のネガティブなイメージに変化が起きると思うんです。かっこいいかもって。そこから少しでも野菜作りや果物作りに興味を持ってもらえれば、日本の農業の未来を少し明るいものにできるのかもしれません」

ゴールデンウルヴスが発足してから10年弱。山中氏や選手たちは日頃農作業をする中で担い手不足の深刻化を肌身で感じていると話す。農作地の現場から実情を懸念する声を聞かされると消費者である私自身の不安も増していった。現状を劇的に変える特効薬はないのかもしれない。ただ、農家である彼らがスポーツマンとして輝くことで、農業に脚光を当てさせようとする取り組みは新鮮だ。目指しているチームの姿になることは簡単ではないと思うが、実現を期待せずにはいられない。

text by Taro Nashida
写真提供:ゴールデンウルヴス福岡

※本記事はパラサポWEBに2025年1月に掲載されたものです。
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