【大宮アルディージャ】[聞きたい放題] 濱田水輝×富山貴光 同級生対談

大宮アルディージャ
チーム・協会
選手やスタッフにピッチ内外に関わらず様々な質問をしていく本コーナー。今回は、ともに1990年生まれの濱田水輝選手と富山貴光選手の同級生対談をお届けします。じつは十代のときから面識のあった二人。当時の思い出や、ピッチ内外の話を語り合ってもらいました。

【©︎1998 N.O.ARDIJA】

聞き手=粕川哲男

出会いはU-16日本代表合宿

──今回はプロキャリアの長い同級生対談ということで、よろしくお願いします。1990年生まれのお二人が最初に出会ったのは、アンダー世代の日本代表候補合宿だったとか。
富山「そうですね」

濱田「高校1年生のときの、U-16の合宿だったと思います」

富山「どの合宿だったかは全然覚えてない」

濱田「俺も」

富山「逆に行きたくなかったから(笑)。だって、めっちゃ怒られるんですもん。監督が城福さん(浩・現東京ヴェルディ監督)で、コーチが小倉さん(勉・現シンガポール代表監督)。水輝はいいよ。アジアの大会もずっと呼ばれてたから」

濱田「そうね。俺は運よく何回も呼ばれて、当時のメンバーでは常連っぽかった。あとは、浦和レッズユースだったんで、だいたい3、4人一緒に呼ばれてたからね」

富山「なんで俺が呼ばれるのか、不思議でしょうがなかった」

濱田「力があったんでしょ(笑)」

──富山選手は矢板中央高校の1年生ですか。
富山「教官室に呼ばれたときに、俺なんかやらかしたかなって思ったもん」

濱田「アハハハ……」

富山「イヤだなぁと思いながら行ったら、『すごいぞ』とか言われて」

濱田「すごいよね。矢板中央から一人って」

富山「ただ、怒られた記憶しかない」

濱田「そんなに?」

富山「途中から入ったときとか、もう大変……」

濱田「要求のレベルが高いんだよね」

富山「プロなら当たり前っていう空気感があった。そのおかげでレベルアップできたのは間違いないけどね」

──当時の代表活動で印象に残っていることは?
富山「強烈に覚えているのは、アメリカ代表とホテルが一緒になって、そしたらいきなり水輝がアメリカの選手とペラペラ話し始めて、『なんだコイツは?』って」

濱田「覚えてる(笑)。僕はU-15のアメリカ代表に入ってたことがあって、当時の友達とエレベーターで会ったんですよ」

富山「普通に英語でしゃべってるから、『何者だ?』と思った。話を聞いたらアメリカに住んでたらしく、ミドルネームまであるとか言うから」

濱田「(笑)。僕、ビクターってミドルネームがあるんですよ。使ってないんですけどね。ユースのころから僕のことをずっと『ビクター』って呼んでる友達がトミと早稲田で一緒で、彼以外は誰も呼んでいないのに、大宮でいきなりトミが『ビクター、ビクター』言うから浸透しちゃってる(笑)」

富山「ずっと覚えてたわ」

濱田「15年ぶりくらいに聞いた、自分の名前(笑)」

富山「田舎育ちの高校生には衝撃的すぎた」

濱田「カサくん(笠原昂史)なんかプレー中も『ビクター』って言ってる」

富山「あれにはビビりました」

濱田「それだけ?覚えてるの(笑)」

富山「いやいや、水輝との絡みではね(笑)。あと覚えてるのは、周りがうますぎたこと。柿谷くん(曜一朗・現徳島ヴォルティス)とか。ボールを預けたら、なんでもしてくれる。一番印象に残ってるのは、清水エスパルスとの試合」

濱田「俺もいた!」

富山「柿谷くんが5人抜きくらいして決めたんですよ!エグッこの人と思って」

濱田「こっちは本気、清水は調整くらいの感じだったと思いますけど、柿谷曜一朗くんは一人プロ相手に通用してた」

富山「チンチンにしてるくらいだったよね」

濱田「大迫(勇也・現ヴィッセル神戸)もいましたけど、当時のインパクトで言ったら、曜一朗くんが断トツでした」

富山「だね」

【©︎1998 N.O.ARDIJA】

若手選手に伝えたい思い

──そこから18年、お二人とも複数のチームでキャリアを築き上げてきたわけですが、今、大宮でどんな気持ちでサッカーと向き合っていますか?
濱田「僕は……個人的な話ですけど、去年契約満了になって、自分の人生をどうしようかすごく考えて、辞めることも考えたんですよ。でも、いろいろ考え直して、最後かどうか分からないですけど、もう1回選手としてやりたいという思いで大宮に来ました。ここに呼んでくれたのが(岡山でも一緒だった、長澤)徹さんだったので、縁も感じましたし。自分なら徹さんのやろうとしていることに力を貸せる、貢献できると思って来ました」

富山「(深く頷く)」

濱田「選手としてのキャリアを楽しみたいという思いで来ているので、いい意味で自分に集中していると言うか……。もちろんチームが勝つためにとか、若い選手の助けにという部分は自然と出ちゃいますが、そこは自分の性格の一部なのでブレーキはかけず、自分がプレーでチームに貢献するということにフォーカスしています」

富山「僕が考えるのは、チームのことばかりですね。若手の成長、中堅の頑張りを促せるような助言を、全体を見ながら意識的にしています」

濱田「若い選手たち、みんなうまいですけどね。サッカーは」

富山「間違いない」

濱田「ただ、ここ数年大宮が苦しんできた理由かは分かりませんけど、試合に勝つため、プロで生き残るために大事なことって、サッカーのうまさだけじゃないと思う」

富山「分かる分かる」

濱田「大宮に来て最初、『うまいけど、これじゃ勝てないよな』と思っちゃったんです。僕とか(下口)稚葉のように、うまくはないけど切り替えとか球際の部分は誰よりもやる姿勢、選手が、当初は目立っていたんです。それはよくないと思ったんです。その姿勢が当たり前にならなきゃいけない。ただ、今年の1月と比べたら、かなり良くなっていると思います。そのあたりは徹さんが植えつけてる部分もあるし、トミとか僕とか年齢が上の選手たちが体現して、浸透させてきた部分でもあると思います」

富山「俺もそう思う。大宮に足りなかった部分を補ってくれる選手たちが来て、徹さんがその上にいる。それで、ようやくスタートラインに立てた感覚です。ここから先、絶対に負けたくないという競争意識、ギラギラ感を出していくことができれば、チームがもっともっと成長していくと感じてます」



──これまでは「甘さ」や「緩さ」という部分が指摘されてきました。
濱田「そこはトミのほうが」

富山「僕が若いころは少しでもパスがずれたら『お前のミスだろ』という無言の圧と言うか、これがプロなんだって厳しさを感じるような場面ばかりでした。でも、今の時代は先輩もみんな優しいからプロとアマチュアの線引きが曖昧と言うか……。ピリッとした空気感を作る難しさがあると思います」

濱田「僕は、しょっちゅう言ってますけどね。一つのプレーを取り上げて『あそこが勝負の分かれ目だから意識しろ』って感じで。あと意識はいいけど、実際に勝つために必要なプレーなのかの状況判断も大事なので、『状況にあったプレーを選択するように』って。『理想のプレーを出すだけじゃなく、チームが勝つために必要なプレーをしよう』といった感じのことは伝えています」

富山「うんうん」

濱田「そのあたりは、若いころに見て学んだことなんです。闘莉王さんがチームにいたので、練習中から見せる勝負へのこだわりとか。福岡では闘将と呼ばれていた岩下敬輔さんとも一緒にやっています。ミカさん(三門雄大)からも多くを学びました。やっぱり、プロとアマの違いはあるよね?」

富山「あるね。若い選手たちはうまいから、できちゃう難しさもあるんだけどね。ただ、勝負どころで本当にそのプレーが必要なのかっていう部分。ゴール前まで運ぶのはいいけど、最後に決め切れるのか。守備の選手でも足元のうまさはいいけど、本当に守り切れるのか。そこはうまさとは別の部分と言うか、上に行ける選手とそうでない選手の線引きになると思うので、チーム全体で共有していかないといけない」

濱田「言葉にするなら、『勝負への執着心』かな」

【©︎1998 N.O.ARDIJA】

ピッチを離れれば二児の父

──ところで、お二人とも二人のお子さんがいますが、どういうお父さんですか?
富山「どっちかって言うと、僕が怒りますね。嫁も怒りますけど、言うこときかないんで、『パパ怒って』みたいに言われて」

濱田「僕も人に迷惑をかけるようなことをしたり、ご飯で遊んだりしたら怒りますけど、それ以外はそんなに怒ってないかな。一緒に遊んでくれる人って思ってるでしょうね」

富山「一番いいじゃん」

濱田「常に家にいて、遊んでくれる人。だいたい午後2時くらいから家にいるので。でも、そこもプロサッカー選手の……」

富山「いいところだよね。僕も、なるべく一緒にいる時間を作ろうと思ってます。だから、サッカーの送り迎えをして練習を見るとか。一緒にボールを蹴ることもありますよ」

濱田「そうなんだ」

富山「自主練、全然しないから」

濱田「アハハハ……」

富山「俺がやると一緒にやるんだけど、自分で考えて練習とかはしてない」

濱田「小学校2年生でしょ。考えて練習しなくない?」

富山「いや、してたと思う」

濱田「俺はしてなかったな。リフティングとかも嘘ついてたし」

富山「回数を?」

濱田「ライバルの友達が記録更新すると、2日後くらいにこっちも更新する(笑)」

富山「最悪だ!(笑)」

濱田「そうすると相手も更新してくる。それで実力と乖離すると嘘がばれるから、必死に練習しなきゃって思い直した」

──授業参観とか運動会は?
富山「運動会、去年たまたま行けた」

濱田「だいたい土日じゃん」

富山「午前中だから観れた。この前、授業参観も行ったし」

濱田「ザワついた?」

富山「つかない(笑)。幼稚園のころはサッカーをやってる子と仲が良かったんで、みんな下の名前で呼んでくれたんだけどね。『タカミツ来た!』って(笑)」

濱田「なんでタカミツ(笑)」

富山「たぶん、息子が言ってたんだと思う」

濱田「あぁ(笑)。うちは運動会、秋にやる」

富山「観に行けるといいけどね」

濱田「ねっ」

【©︎1998 N.O.ARDIJA】

いつでも試合に出る準備はできている

──ここまでの戦いぶりを、どう評価していますか?
濱田「降格1年目。新体制。いろいろなプレッシャーもあるし、難しい部分もある中で、そういうのを跳ねのけて結果を出してるので悪くない。むしろ、いい。ただ僕は一瞬のスキ、気の緩みで積み上げてきたものが崩れてしまう経験もしてるので、日頃から常に緊張感を持って、ピッチ内で言い争いして、毎週末ピッチに出た選手が戦う。それを最後まで繰り返すことが大事だと思っています」

富山「これはみんな感じてることだと思いますけど、一番強いのはチーム内のライバル。紅白戦とか8対8のゲームのほうがリーグ戦よりレベルや強度が高い。それくらいの練習をやってるからこそ、結果を残せていると思う。最後までスキが出ないように、経験のある僕や水輝が声を掛けて、今後もJ3優勝を目指します」

──苦しくなったときは、お二人のような経験のある選手の存在が重要になると思います。
濱田「僕は今、スタートから試合に出ていない、ベンチの立場ですけど、常に試合に出ることを目指して毎日練習していますし、出たときには結果を出してやろうと思っています。ベンチに入っていない選手も含め、全員がそういう気持ちで臨むこと。それを体現したい。練習から緊張感のある状態を作っていければ、簡単に負けることなく、このまま最後まで行けると信じています」



富山「確かに」

濱田「やっぱり、試合に出てる選手とそうでない選手で差が出ちゃうと、そこがチームのスキになる。だから、全員がモチベーション高く、常に当事者意識を持っていられるか。口で言うのは簡単ですけど、どれだけ本気でできるか。僕は常に本気なので、その姿勢が周りに伝わるぐらい、これからも続けていきたいと思います」

富山「僕も水輝と一緒で(先発で)試合に出てないですけど、常に準備はしていますし、試合に出ている選手と変わらない熱量を持ち続けています。全員が同じ気持ちで、出番が来たときに日々の努力を結果に結びつけられるか。そうできる雰囲気を植えつけられれば、心配いらないと思います」

【©︎1998 N.O.ARDIJA】

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粕川哲男(かすかわ てつお)
1995年に週刊サッカーダイジェスト編集部でアルバイトを始め、2002年まで日本代表などを担当。2002年秋にフリーランスとなり、スポーツ中心のライター兼エディターをしつつ書籍の構成なども務める。2005年から大宮アルディージャのオフィシャルライター。
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著者プロフィール

1999年にJリーグへ参加。アルディージャは「リス」を意味するスペイン語。リスは大宮市(現さいたま市)のマスコット的存在で、地域に密着し、愛される存在となることを願ってつけられた。さいたま市西区にクラブハウス「オレンジキューブ」・アルディージャ練習場があり、ホームスタジアムであるNACK5スタジアム大宮は、日本最古のサッカー専用スタジアム。クラブマスコットはアルディとミーヤ。

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