【浦和レッズ】サッカー小僧・中島翔哉は変わっていく自分を楽しむ「うまくいくに決まってると思いながらやっている」

浦和レッドダイヤモンズ
チーム・協会

【©URAWA REDS】

 中島翔哉はいつもボールを触っている。

 ある日の大原サッカー場でのトレーニング。フィジカルトレーニングに勤しむチーム内で、ちょっとした待ち時間に中島はボールを触った。

 リフティングに飽き足らず、当時はまだワールドカップの開幕を控えていたバスケットボールのレッグスルーを軽妙な手さばきでこなした。

 その直後、『主』のもとを離れたボールは、ホセ カンテがスタッフに渡すために蹴るまで誰にも触られなかった。

 9月6日にパナソニック スタジアム 吹田で行われたYBCルヴァンカップ プライムステージ 準々決勝 第1戦 ガンバ大阪戦。ピッチに出る前に選手たちがウォーミングアップを行う室内アップ場の外から「ポン、ポン」と聞きなじみのある軽快な音が聞こえた。

 中島がボールを壁に当てる音だった。壁から返ってくるボールをトラップし、そのままリフティングしてまた壁に向かって蹴る。まるで少年のようだった。

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 片手にスマートフォンを持ってスタッフと笑顔で会話しながら器用にリフティングをこなしたり、ターンして背中でトラップしたりするテクニックは、およそ少年とは思えないのだが。

 中島はいつも笑っている。

「いいチームに来られたと思いますから。練習でも楽しくやれていますし、それが一番大事だと思います。楽しいときは疲れを忘れる感覚になります」

 いつも笑っているのはどんな環境でも変わらないようだが、今を「楽しい」と思っていることは間違いない。

「サッカー小僧です。本当にサッカーが好きなんだと感じます」

 中島の印象についてそう話したのは、牲川歩見だった。初めて会った頃から10年以上経つが、大原サッカー場で多くの時間をともにしている中島の印象は、その当時から変わらないという。

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 非凡なサッカーセンスと卓越したテクニック。ドリブルを最大の武器とし、身長164cmと小柄ながら、威力のあるミドルシュートを放つ。高校3年生のときにJリーグ史上最年少でのハットトリックを達成し、各世代の日本代表に選ばれ、A代表で10番も背負った。

 人は彼を『天才』と言う。しかし彼は「サッカーが下手」と自己評価する。「下手だから、いろいろ試すんです」と。

 今でもサッカーがうまくなりたいと思う。サッカーをする上で大切なことは楽しむことだが、一番楽しいのは上達したと思えたときだ。

 試合に出たい。試合が一番面白い。結果も出したい。結果を出せば気持ちがいい。ただ、それらとサッカーがうまくなりたいという気持ちは必ずしもつながってはいない。

「うまくなりたいのは、勝つためではあるけど、勝つためではないんです。勝ちたいと強く思いすぎると、だいたいいいプレーができませんから」

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 かつては勝つこと、結果を出すことを最優先に考えていたこともあった。でも、それはいつしか、「邪念」だと感じるようになった。

「勝ちたいと思いすぎると、審判や相手に文句を言ったり、誰かのせいにしてしまいます。そうではなくて、自分がどうすべきかを考えながら、いいプレーをするように心がけています」

 きっかけは後に妻となる女性だった。迷ったとき、自ら「お願いします」とアドバイスを乞うた。基本的に人の意見を聞かず、「右から左に流すことしかしてこなかった」が、サッカー関係者ではない人の意見は新鮮だった。日本代表になったことも、海外でプレーできたことも、妻のアドバイスのおかげだと思っている。

「昨日の夕飯も覚えていない」と笑う中島は、いつ頃から妻にアドバイスをもらうようになったのかも覚えていないが、それから変化をためらわなくなった。むしろ変化し続けることを求めるようになった。

「毎日ひとつでもうまくなれるようにしていますが、何かを削っていくような感覚です。今は何かを身に付けるよりも、いらないものを削っていくことをやっています」

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 では、いらないものとは何なのか。

「癖ですよね。癖をなくす。僕は元々、癖だらけです。周りから『癖が強い』としか言われませんから(笑)。もちろん、いい癖もあります。シュートで得意なコースもある意味、癖ですよね。そういうことは大事だと思います。

 でも、その瞬間、瞬間でベストなことが癖の中にあるとは限りません。だから、いろいろと変化させられるようにしたいんです」

 過去の経験も踏まえ、変化することは成長につながると信じている。そして、常に成長したいと考えている。

「このインタビューの一瞬、一瞬を取ってもそうです。運転していてもそうですよ。上達したいと思います」

 それはインタビューの受け答えや運転技術のこと?

 半ば違うだろうと思いながらもそう問うてみると、中島は「いやいやいや」と否定して続けた。

「分けていないんです。極端に言うと、運転していることが試合に出るんです。運転自体が上手になりたいというより、体の使い方ですかね。それがサッカーに出るんです。もちろん安全運転していますよ。それがサッカーの練習にもなるんです」

 そう言いながら水を飲んだ中島に聞いてみる。「今、水を飲んだことも、もしかしたらその飲み方もサッカーにつながる?」と。

「つながらないわけがないんです。ここで僕が言っていることも、書かれた記事もつながります。お風呂の入り方でも変わるんです」

 大きな口を開けて笑いながらそう言ったあと、表情をすっと真顔に戻した。

「だから、サッカーの目標を立てるよりも大変だと思います。忘れてしまうこともありますし、意識しないと癖はなくなりません」

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 変化すること、試すことはもちろんピッチ内でも日々トライしている。例えば、試合に向けた調整においても、ルーティンで毎日同じことをやって体の変化に気づくことを否定しないが、自分はそのときに必要だと思うことにトライする。

 プレーもそうだ。ある日のトレーニングでは、つま先だけでシュートを打ってみた。すると、足の裏が凝ってしまった。だからそれは違うと気付けたが、そう気付くこともまた楽しかった。

 試合前のウォームアップで行うポゼッションのトレーニング。ある日は直接的にはボールを見ずにやってみた。「狭いところでも意外とやれるんだな」と思えた。

「シュート練習もそうなんです。最近はボールを見ないでGKだけを見て打つことを試しています。だから牲川とばっちり目が合うんです」

 哄笑しながら続ける。

「牲川は『そんなに見られることがないから止まっちゃう』と言っていて、逆にこっちは牲川が止まっているから迷います。でも、ボールを見たり蹴り方を気にしたりするとうまくいきません。意識がボールだけに行ってしまったり、その後を考えていなかったりして。顔を上げてシュートを打つと、ゴールは意外と大きいんだなって思いますよ」

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 そう言っていたずらっぽく笑う中島はまるで少年のようだった。

「試すことは面白いですね。変わる過程でうまくいかないこともあるし、変化は怖いじゃないですか。でも、うまくいくに決まっていると思いながらやっています」

 試して身になれば万々歳。自分に合わないことは、それが一般的に必要だと言われていても潔く諦める。それでも試すことが楽しい。

 ただ、この話のすべては「現時点での」こと。いや、すでに過去のものかもしれない。

 結果にこだわり、周りに不満を感じることも多かった少年が自分だけに矢印を向けるようになったように、これから変わる可能性があることを中島は否定しない。いやむしろ、変わっていくものだと思っている。

「元々は『日本に帰らない』と言っていたのに、そのすぐ後に帰ってきましたから。僕はそういうやつなんです。だからまた変わっていくと思います」

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 サッカーがうまくなった先に何があるのか、中島自身も分からない。理想とする着地点も特にない。ただ、勝つためにうまくなりたいわけではないし、それが着地点だとは思わないが、うまくなった先に結果がついてくることは分かっている。

「もっとうまくなって、ちゃんといいプレーをしたら点を決められると思いますから」

 日本に帰ってくるとは思っていなかったが、いざ帰ってきてみれば、チームメートやコーチングスタッフ、トレーナーも含めて「これからのサッカー人生にプラスになる」と思えた。

 そんなレッズで中島は、変化と成長を求めていきながら、笑顔でボールに触り続けるに違いない。

 Jリーグデビュー戦でゴールを決め、その1ヵ月後には初のフル出場を飾ったばかりか、ハットトリックまで達成してサッカーファンに衝撃を与えた高校生は、もう29歳になった。

 いや、まだ29歳。永遠のサッカー小僧のストーリーはまだ半ば、クライマックスはまだまだ先になりそうだ。

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(取材・文/菊地正典)
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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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