近くにチームメイトがいる。いつでもパスできる。それが嬉しい 〜vol.7竹中太一【三重ホンダヒート 新加入選手インタビュー】
【三重ホンダヒート】
サラリーマンもフリーターも、プロ契約も経験した今、ラグビーが好きという気持ちと反骨精神とのバランスが、うまく噛み合いだした。
ともに勝ちたいと思うチームメイトがいること。パスを放った先でプレーしてくれる人がいること。仲間が繋いだパスを受け取ってプレーすること。これまでは当たり前でなかった全部が楽しい、と話す竹中選手の今までとこれからについて、話を聞いた。
大阪府阪南市出身、石見智翠館高校→関西大学→宗像サニックスブルース。173cm/82kg。ポジションはフルバック、ウイング、スタンドオフ 【三重ホンダヒート】
ラグビーを始めたのは6歳の時でした。中学生まで岬ラグビースクールに所属して、平日はバレーボール部、週末はラグビースクール、という生活をしていました。
中学生の時には大阪府のスクール選抜に選ばれ、全国大会で優秀選手24人に選んで頂いたこともあります。
高校は、島根県にある石見智翠館高校に通いました。大阪でも和歌山寄りに住んでいたので、大阪のどの学校に通うにも始発で出発し日付を跨ぐ頃に帰るような生活をしなければいけなくて。だったら、とお誘い頂いた全寮制の石見智翠館高校に進学することにしました。
中学まではずっとスクラムハーフをしていたのですが、高校ではハーフをやったりウイングをやったりとポジションはまちまち。1年生の花園ではウイング、2年生ではフルバックで出場しています。
――高校3年生の花園では、スクラムハーフに戻っていますよね
実は、3年の国体までは15番だったんです。その年、チームは全然勝てなくて。選抜でも予選敗退、国体でも1回戦負けという波乱が起きていたので、先生方の「何か変えてみよう」という判断があったのか、初秋に行われた国体が終わったら急にスクラムハーフに戻りました。パスも経験値も全然なかったですが、9番。そのコンバートが効いたのか、最後の花園では何とかベスト16に入ることができました。
――大学は大阪に戻り、関西大学に進学されています
大学はスクラムハーフ枠として採用してもらいました。でも結局、ハーフをしたのは2ヶ月程度。「お前ぐらいのサイズでも、バックスリーで勝負しているやつはおる」と言われ、ウイング・フルバックに転向しました。
大学1年次には入替戦も経験した 【三重ホンダヒート】
そうですね。僕、高校3年間寮生活だったので、親の有難みとか感謝の気持ちというのは、他の高校生より強く持っていたと思います。入寮した時から洗濯、食事、掃除、全部自分でしないといけないじゃないですか。かなり大変でしたけどけど、それがあったからこそ改めて有難みに気付けたのだと思います。
大学は逆に、大阪の実家から通いました。親も会場近い方が見に行きやすいですし、高校で親の有難みを知って実家に帰ったからこそ、優しく接することもできたのかなと思います。
自分を貫く、を学ぶ
当初はトップイーストのチームからお誘いを受けていたのですが、最終面接で不合格になってしまったんですよね。それが大学4年生の夏ぐらい。他のチームのトライアウトもいくつか受けたのですが結局ダメで、一般企業に就職することにしました。
最初の配属地が広島だったので、最初の1年は広島クラブ。翌年は名古屋配属だったので名古屋クラブに所属して、クラブラグビーを経験しました。名古屋クラブではクラブ選手権で準優勝しています。ここでは主にセンターを担当していました。
その決勝戦を終えた後、すぐにニュージーランドへ行っています。会社を辞め、単身NZへ。トップチームへのチャレンジを目指して、現地のクラブラグビーでプレーしました。
でも、いざこれからっていうタイミングでコロナが蔓延してしまったので、ほぼ体験留学状態(笑)。プレシーズンマッチ2試合に出場後、1ヵ月程で日本に帰ってきました。
――滞在期間1ヵ月のNZ生活。何を感じましたか
一番は文化の違いです。ラグビーもそうですが、私生活もみんな楽しんでいるな、と思いました。ネガティブな人がいないというか、みんなラグビーが好きなんでしょうね。平日でも20人、30人ぐらいが集まって練習できることに驚きました。
それぞれが好きなことやって、それをみんなが受け入れる。「こいつ何やってんだ?」っていうのがなかったんですよね。だから僕自身「多数派じゃなくても、自分のことを貫こう」っていう考え方になったような気がします。無理に周りに合わせることなく、自分を貫く。だからたとえ1ヵ月でも、行って本当に良かったです。
NZでのポジションは、ウイングとスクラムハーフ 【三重ホンダヒート】
お金を稼がないといけないので、バイトを2つ掛け持ちして、ひたすら1人でトレーニングをしていました。実家近くのビーチに行って、走って。その時は6歳下の弟も大学に入学したてだったので、弟と2人でトレーニングすることもありました。
それでも1人でトレーニングするにも限界が来ていたので、大阪の六甲クラブや様々なチームを渡り歩きながら、バイトしてトライアウトの機会を待つ、そんな日々を送っていましたね。
――この1年半、長かったですね。なぜ、頑張ることができたのでしょう
なんでですかね。でもなんか、いけると思ったんですよね。2つトライアウトを受けたんですけど、出来る感覚があって。だから1人でも頑張れたのかな、と思います。ラグビーが好きですし、「見返してやろう」っている反骨心がモチベーションでした。
だけどさすがに次のトライアウトに落ちたら辞めようかな、って考えていた時に、宗像サニックスブルースのトライアウトがあったんです。
――サニックスでは、スタンドオフ採用だったと。これまでの経歴で一度も見たことのないポジションですね
スタンドオフだったらトライアウト受けさせてあげるよ、って言われたので、やったことなかったんですけど「はい行きます!」って嘘ついて行きました(笑)
プレッシャー、精度の重要性
初めてのポジションをリーグワンのレベルでプレーしたことは、すごい経験になりました。だけど一番はやっぱり、自分のスキルのなさに驚いてしまって。テレビで見ているだけだったら「なんでこんなプレーすんの?」というようなシーンはいっぱいあると思うんですけど、いざリーグワンの屈強な人たちの前でプレーしてみると、プレッシャーがエグくて。これ本当、ファンの方にも伝えたいんですけど(笑)プレッシャー、エグいです。
正直、僕自身もなめてました。キックの落とし所が1メートルずれただけで、チームの戦術が変わってくる。そういうプレッシャーは、相当でした。
――その中での一番の学びを教えてください
スキルです。スタンドオフからのパス1つの重要さ、キックオフ1つの重要さ。少しのズレが、そのフェイズ全てを狂わせるんだと改めて学びました。小学生からやっているスキルセットであっても、そのレベルの高さ、求められている精度の高さは全然違うんだ、ということですね。と同時に、意識するレベルが変わるだけで成長スピードは格段に変わる、ということも実感しました。
――伸びしろを把握したサニックスでの1年間だった、ということですね。残念ながらサニックスは廃部となりましたが、ヒートに移籍した経緯を教えてください
ヒートから「トライアウトを受けてみないか」と声を掛けて頂きました。ぜひ受けさせてください、とお答えし、6月末にトライアウトを受け今に至ります。
パスを放る仲間がいること
今が1番楽しいです。勝ちたい、っていう気持ちを全員がちゃんと持って努力できるチームだと感じています。
――なにが楽しいのでしょう
まず僕としては、ラグビーできる環境が嬉しいし楽しい。近くにチームメイトがいて、いつでもパスができる。そういう有難みは、大学卒業してすぐにチームに入った人にはあんまり感じられないんじゃないかな、って思います。
――チームメイトがいないと、パスできないですもんね
チームメイトのいない時期が2年ぐらいあった、僕ならではの感覚だと思います。一緒に勝ちたいって思うチームメイトがいることも、パスを放った先でプレーしてくれる人がいることも。チームメイトが繋いだパスを受け取ってプレーすることも、全部が楽しいです。
ヒートでのファーストゲームはセンターだった(写真中央) 【三重ホンダヒート】
準備の大切さを伝えること、ですね。トライアウトを受けていた時期も、それに向けた準備が必要でした。試合でも、準備を失敗すれば全部失敗します。
大学生の時、試合前に言われた言葉があって。「準備を失敗することは、失敗を準備すること」だと。
1つの練習に対する準備、試合に向けての1週間の準備。シーズン通しての準備の大切さっていうのは、サラリーマンを経験して、フリーターも経験して、プロ契約をも経験したからこそ伝えることじゃないかなって思います。
――1つの経験も無駄にしなかったからこそのお言葉ですね。では最後に、ファンの皆様に向けてメッセージをお願いします
いつも応援していただき、ありがとうございます。今シーズンはタフな戦いになると思いますが、スタッフ・選手・ファンの方々一丸となってD1昇格に向けて一緒に戦いましょう!
応援、よろしくお願いします。
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