【選手が選手を紹介!山越康平→阪野豊史】「トヨくん(阪野選手)は僕が明治大学1年生の時の4年生で、実は一緒の部屋でした」「ゴメン、憶えてない!笑。だって、明大サッカー部の寮って16人で一部屋なんですよ。」

東京ヴェルディ
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【©︎TOKYO VERDY】

選手が明かすチームメイトの素顔『PLAYER INTRODUCTION』

東京ヴェルディ公式マッチデイプログラム内で好評の、緑の戦士たちによるリレー形式の“他己紹介”企画。プレーヤーとしての特長はもちろん、チームメイトだからこそ知っている選手の素顔に迫ります。山越康平選手が語る阪野豊史選手の素顔とは・・?

山越康平が語る阪野豊史

トヨくんとは大学時代に一緒の部屋だった


今回は明治大学の先輩でもある阪野豊史選手を紹介します。トヨくん(阪野選手)は僕が1年生の時の4年生で、実は一緒の部屋でした。大学時代から全然変わらないですね。当時から優しくて、本当にあのまんまという感じです。

僕にとっては先輩ですが、「カワイイ」ですね(笑)。トヨくんってけっこう年下からもイジられるんですよ。ヴェルディでも、「プーさん」(『くまのプーさん』の)と言われてイジられてます。それって、トヨさんがすごく親しみやすい人柄だからだと思うんですよね。さすがに僕は、大学の先輩なのでちょっとイジれないですけど、ロッカーとかでよく若いやつにイジられてます。
あと、僕もそうなのですが、トヨくんはちょっと抜けてるところがあって、面白いエピソードもたくさんあるのですが、トヨくんのためにここで披露するのはやめておきます(笑)

選手としては、相手にとって嫌なFWだなと思います。ボールを収めて溜めが作れるし、相手からするとすごく嫌な動きをするというか、動き出しで常に嫌なところを狙っている。なおかつ、がむしゃらにプレーできるので、実際に対戦した時もすごく嫌な選手だなと思いました。なので、そういう選手が味方になってくれて、すごく頼もしいなと思っています。トヨくんも復帰したし、これからどんどん一緒にピッチに立ちたいですね。

阪野豊史選手 【©︎TOKYO VERDY】

長期のケガを乗り越えたトヨくんに聞きたいこと

トヨくんは今年の初めにアキレス腱断裂という大きなケガを負いました。僕も大きなケガを経験したことがあるのですが、長期のケガは本当に苦しいです。サッカー選手にとって、ピッチでプレーできないのは何よりつらいことですし、積み重ねてきた評価もなくなってしまう。ケガって本当にきついんです。
だからこそ、一生懸命リハビリをして、ピッチに戻ってきたトヨくんにぜひ聞いてみたいです。「ケガをしてからどういうモチベーションでリハビリに取り組んでいたのですか? どんな心境、どんな目標をもって毎日を過ごしていたのですか?」。日々、本当に苦しかったと思いますが、何を考えて乗り越えてきたのか。このコーナー恒例の質問として聞かせてもらえたらと思います。

そして、トヨくん。またご飯に行きましょう! 大学時代によく行っていた美味しいステーキ屋さんがあるので、ぜひそこに連れて行ってほしいです。よろしくお願いします!

最後にファン・サポーターのみなさんへ。
自分の良さはピッチで闘えるところ、対人守備で相手を潰せることだと思っています。今はチームが苦しい状況ですが、絶対にチームの力になってチームを上向きにします! 『チームを勝たせる』ということに全力で取り組んでいくので、これからも応援よろしくお願いします。

阪野豊史選手 【©︎TOKYO VERDY】

阪野豊史が語る山越康平

「寮で同部屋だった」と言っていたけど、ゴメン、憶えてない!

僕を紹介してくれた山越康平選手とは、明治大学つながりで、僕の後輩です。大学時代は「ヤマ」と呼んでいたのですが、ヴェルディでは「コシ」と呼ぶ人が多いので……って、あれ? 僕はどっちで呼んでるかな? 「ヤマ」のほうが多いかもしれないですが、もう自分でもよく分からないです。「ヤマ」か「コシ」か、どっちで呼ばれても気にしないでください(笑)

「寮で同部屋だった」と言っていたけど、ゴメン、憶えてない! だって、明大サッカー部の寮って16人で一部屋なんですよ。二人部屋とかならさすがに覚えているけど、16人なんて多すぎて、その年に誰が同じ部屋にいたかなんて一人ひとり憶えてないです。部屋といっても、真ん中に1.5メートル幅の通路があって、両側に二段ベッドがダーっと並んでいるだけ。そこにそれぞれカーテンをつけて、ベットの上だけがプライベートスペースという感じなので、もう部屋というよりはカプセルホテルみたいな感じです。その部屋の奥が4年生で、手前が1年生。僕が4年の時、コシは1年だったので、位置的にもけっこう遠かったんじゃないかな。

人間関係を厳しく言ってくれる環境って、実はすごくいい勉強

大学時代、懐かしいなぁ。僕はJのアカデミー育ち(浦和レッズユース出身)なので、大学に入って体育会系の上下関係にはめちゃめちゃ苦労しました。でも、明治のいいところは、ユース育ちと高体連育ちが半々ぐらいいることです。どちらかに意見が偏ることがなかったのはすごく助かりました。
僕は1年生の時に上下関係でいろいろ言われるのが嫌だったので、自分が4年生になった時は、「自分が嫌だったことはなるべくなくしてあげたいな」と思って後輩に接していました。だから1年生にとっての僕は、「助かる先輩」だったと思いますよ。例えば、後輩が何かミスったりすると罰があったのですが、「今回はよくない?」といって見逃したり。坊主にするみたいなのも、「もういらないでしょ?」という感じでした。だから、たぶんコシは坊主にしてないんじゃないかな。

きっとそういう意味で、コシは僕のことを「優しい」と言ってくれたんだと思います。でも、優しいというよりは、そんなに干渉しないという感じかな。ただ、今考えると、人間関係において厳しく言ってくれる人って大事じゃないですか。僕は今でも厳しく言うのがちょっと苦手なので、大学時代にもっときちんと言えていたらと、実は少し反省しています。厳しく言うのってけっこう難しいですからね。言わないのが一番簡単じゃないですか。それに、上下関係って社会に出るうえで学ばなければいけない大切なことだと強く思います。
こうしてプロサッカー選手になれたからいいけど、もしサラリーマンとして働いていたら、大学時代に味わったあの厳しい環境って、実はものすごく良い勉強だったのかなと思います。そう考えると、明治では大事なことを教えてもらいましたね。

山越康平選手 【©︎TOKYO VERDY】

コシは性格的にはちょっと抜けてるところがある

生活面や日頃の態度で、コシに何かを言った記憶はないですが、あいつは1年生の頃から公式戦に絡んでいて、一緒に試合に出ることもあったので、サッカーに関してはいろいろ言ったと思います。当時から高さがあって、対人に強かったけど、カバーリングとかアジリティのところは、「もうちょっと伸びるかな」という印象でした。その部分を4年間でしっかり伸ばしてきたからこそプロになれたんだなと、またチームメイトになって改めて感じます。
相変わらず対人に強くて、引くだけの守備ではなく、相手にガツガツいける。アジリティの部分でも無理が効くようになっていますし、いろいろな経験を積んで、駆け引きなども大学時代と比べるとかなり上達していると思います。性格的にはちょっと抜けてるところもあって、人の話を聞いてなくてポカンとしていることがけっこうありますね。そこは9年ぶりでも変わってないです(笑)

そうそう。コシが言っていた美味しいステーキ屋さん。僕も行きたいです! たしか、1回だけ一緒に行ったかな。明治の後輩でリハビリも一緒だった稲見(哲行)と加藤蓮とコシの4人で行ったんです。もっといっぱい行きたいのですが、コロナがあるのでなかなか……。でも、シーズンオフになって、制限がオープンになったら、今度は(佐藤)凌我と(長沢)祐弥も誘って、みんなで“明治会”をやりたいなと思っています。

山越康平選手 【©︎TOKYO VERDY】

コシから「ケガしてからどういうモチベーションでリハビリに取り組んでいたか? どんな目標を持って毎日を過ごしていたのか?」という質問がありました。
「モチベーション」か。僕はあんまり先のことを考えないタイプなので、復帰したらとかはあまり考えず、その時にできることをしっかりやって、その積み重ねで復帰まできました。「今週はこれをやるぞ」というテーマを決めて、あまり先のことは見ない。徐々にできることが増えていくので、そこに喜びを感じて頑張っていましたね。
移籍した直後のケガで、「ショックだったのでは?」と言われるのですが、ショックというよりも、チームに迷惑かけるな、当時の監督だった堀(孝史)さんに申し訳ないなという気持ちのほうが強かったですね。特に堀さんとは浦和ユースの時に一緒にやっていたので、久しぶりにまた一緒にやれることをすごく楽しみにしていました。

でも、自分のキャリアがどうとか、試合に出られないことに、それほど落ち込みはなかったです。逆に、今までケガなくきていたので、「いつか自分も大きなケガをするんじゃないか」という、心の準備みたいなものはある程度ありました。
これまでのキャリアで、いろいろな選手が大ケガで長期離脱を強いられるのを見てきました。プロサッカー選手にとってケガは付きものですし、実は僕自身もアキレス腱が痛い年がけっこうあったので、今思えば心のどこかで覚悟はできていた気がします。もちろん、そうならないために普段からやれることはしっかりと積み重ねてきましたが、そのうえでのケガだったので「しょうがないな」と割り切れましたね。
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著者プロフィール

東京ヴェルディは、日本初のプロサッカーチームを目指して設立された1969年の当初から、青少年の育成とスポーツ文化の振興と確立を目的に活動を行っています。1993年の開幕時からJリーグに参戦して初代チャンピオンに輝き、連覇も達成するなど数多くのタイトルを獲得しています。女子チームの日テレ・東京ヴェルディベレーザは設立当初から日本の女子サッカー界を牽引する存在で、多くのタイトルを獲得してきました。日本女子代表にも数多くの選手を送り出しています。男女ともに一貫した育成システムを誇り、世界に通じる選手の育成を続けています。

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