中村憲剛×村井満チェアマン対談「“困難の百貨店”を乗り越えた先に」【憲剛と語る川崎フロンターレ 01】
【© KAWASAKI FRONTALE】
今回はクラブ一筋で戦い抜き、ピッチ内外で数々の困難を乗り越えてきた姿が映画化された中村憲剛氏と、Jリーグをけん引し続けてきた村井満チェアマンの対談が実現。
映画に描かれたバンディエラとクラブの取り組みから見えたもの、そしてこの映画が持つ本当の価値とは――。
村井さんの全国ロードショー案は非常に心強い
自身の映画について「みんなで作り上げた作品」と語る中村憲剛 【© KAWASAKI FRONTALE】
村井満チェアマン(以下:村井) 最高ですよ。これは日本アカデミー賞ものだね。僕も作品中に登場させてもらっているので、レッドカーペットを歩くための衣装を買っておかないと(笑)。冗談はさておき、本当に素晴らしい作品だと思います。これまでもJリーグを題材にした映画はありましたけど、その多くはいわゆる記録映像的なドキュメント作品で、ここまで人間模様や物語を織り込んだ映画はありませんでした。実はさっき自分の中で決めたんですけど、すべてのJクラブのホームタウンでロードショーをできないかなと。それくらい多くの皆さんに見てもらいたいと思っています。サッカーにとどまらず、たくさんの方々にもご覧になっていただけたらいいですね。
中村憲剛(以下:憲剛) そうおっしゃっていただけると、本当にありがたいです。当事者の僕たちではなく、村井さんの言葉で伝えていただけることに大きな価値があります。この作品を見てくださった方たちの心に何かが伝わってくれたらいいなと思います。
――10月下旬に映画の先行上映会で舞台あいさつをした際、憲剛さんは少し場内の空気に戸惑っている様子が見受けられました。
憲剛 皆さんに作品を鑑賞してもらった直後に舞台あいさつで館内へ入ったんですけど、その空気がすごかったんです。どう表現したらいいのか分からないんですけど、みんな泣いていたからか館内の湿度がものすごくて……。僕もちょっと胸が詰まっちゃいました。
村井 私も現場にいましたが、上映が終わった直後、自然発生的に拍手が沸き起こっていましたよね。実際に演者さんがいる舞台でもないのに、自然と拍手が起こるのはすごいと思いました。
憲剛 そこはありがたい限りですね。サポーターの中には昔から支えてくれてきた人だけじゃなくて、最近になって応援し始めた人もいらっしゃったと思うんです。古くから知っている人は自分の歩みと重ねて見ていただけるでしょうし、最近の方は川崎フロンターレがどうしてこうなったのかを知ってもらうことができたんじゃないかと思います。
村井 この映画にはJリーグの理念、ホームタウンとの関係性、クラブ経営、選手のあり方や価値……いろいろなテーマが含まれていますけど、私は大きな家族愛も感じることができました。引退という大きな決断に至るまでには極限に近いストレスがあるはずで、そこにあった家族の支えって誰も知らないじゃないですか。それを奥様と10年くらい前から一緒になって考えていたわけですよね。大きなことを成し遂げるには、大きな力が必要になる。決して一人の力ではできない。それはクラブ経営やチームも同じですけど、一人の選手として家族の存在があったという事実も見逃せないと思いました。そこにはホームドラマとしての要素もあるかもしれないですね。
憲剛 見る人によって捉え方、感じ方は違うと思います。今回は確かに自分の映画ではあるんですけど、みんなで共に作り上げた作品だと思っています。当然ながら僕一人ではここまでにはならなかったですし、そこにタイミング良く僕が加入しただけで、本当に多くの方々の行動やリアクションがあってこそ今があります。確かにサッカー映画ではありますけど、いろいろな捉え方ができるものになっていますよね。でも、これは僕が話すより、村井さんにおっしゃっていただけると本当にありがたいです。ここまで素晴らしい告知をしていただけるとは(笑)。
村井 いえいえ、本音ですよ(笑)。憲剛さんとフロンターレの歩みって、いろいろな人が投影できますよね。体が小さなサッカー少年はもちろん、ボランチ転向は願わぬ異動を命じられたサラリーマンが、クラブの継続的な取り組みは経営に悩む企業が参考にできるでしょうし、ワールドカップのメンバー落ちは受験に失敗してしまった人が新しい目標を見つけるヒントにできると思います。私はこれまで人事関連の仕事を長くやってきたこともあったので、困難に直面した人や組織がどう乗り越えていくのかという観点でも見ていました。憲剛さんがフロンターレに加入した当初、等々力の入場者数は3,000人くらいだったわけですよね?
憲剛 そうなんです。ガラガラのスタジアムを見るたびに「これを満員にしたい」と思って、チームメートの伊藤宏樹さんと当時から話していましたし、そのために何ができるかも考えてきました。
村井 そういった地道な取り組みを続けたことが今につながっている。世の中に顧客が少なくて苦しんでいる企業はいっぱいありますけど、その一つだったフロンターレが困難を克服していく道のりが重要だと思うんです。個人が生きていくための努力、企業や組織が大きくなっていくためのポイント、そして行政や地域が抱える課題。この映画には日本という国が抱える問題が詰まっているようにも感じました。フロンターレと憲剛さんの歩みって、「困難の百貨店」みたいな感じだったと思うんですよ。
憲剛 まさに「困難の百貨店」でしたね。村井さん、ボキャブラリーがすごいです(笑)。最初は本当にうまくいかないことだらけでしたけど、その一つひとつに地道に取り組んできたからこそ今があるのは間違いないですね。
村井 そうやってクラブにまつわる多くの人が長年取り組み続けてきたことが結果につながった。これが小説や物語じゃなく、すべてリアルな事実だからこそ迫力がすごい。“サッカー映画”と狭く定義することがもったいなさすぎるくらい、見る人の目線によっていろいろな見え方がする作品だと思います。Jリーグの実行委員会などで各クラブの皆さんにも「素晴らしい映画がある。フロンターレとか川崎市という枠組みではなくて、サッカーとJリーグを愛する人たちに捧げる映画だ」と伝えたいと思っています。
憲剛 サッカー選手に重要なのは、サッカーをプレーすることだけじゃないと思うんです。J2からスタートした僕と、J2からリスタートしたフロンターレが、地域の皆さんとどうやってつながってきたのか、どうやって強くなっていったのかを知ってもらえたらと思います。それこそ先ほどおっしゃっていただいたように、今はJクラブが各都道府県にありますから、そこでも見ていただいて、何かを感じてもらえたらうれしいです。そういう意味では、村井さんの全国ロードショー案は非常に心強いです(笑)。
この映画の存在価値を全国に伝えていきたい
村井チェアマンは「見る人の目線によっていろいろな見え方がする作品」と映画を評価 【© KAWASAKI FRONTALE】
憲剛 当時の難しい状況は、映像がすべてを物語っていますよね。クラブやメディアの皆さんがいろいろ撮影してくれていたのが大きかったです。そんなところまで撮影していたのかと思うところもあったくらいで(笑)。
――村井チェアマンはこの映画を通じて、中村憲剛という人間、プレーヤーをどうご覧になりましたか?
村井 何より憲剛さんのすごさは、神様が送ったメッセージをちゃんと受信するところだと思いました。普通だったら言い訳をしたり、できない理由を探しがちですけど、壁に直面したときに、何らか意味を見いだそうとする。神様が自分に課したものを察知していくんですよね。お客さんの少ないスタンド、何度も目の前で優勝を逃し続けたこと、引退を決意したあとの大ケガ。普通だったら目の前を通り過ぎそうな情報に対して、「自分がやらなきゃダメだ」ってメッセージとして受け止めたわけですよね?
憲剛 基本的にはいろいろな事象に対して、必ず意味や意図を考えるようにしてきました。目標を達成したり、課題をクリアしようとする時には、自分に矢印を向けなければ成長しないことにも気づきました。あとはクラブの方針も大きかったです。地道にやり続けることで実際に周りが少しずつ変わっていきましたから。自分で情報をキャッチしてアクションを起こしたことで成功体験が生まれていくんです。もちろん失敗することもありましたけど、それを積み重ねたことで広がった光景に感動している自分もいました。
村井 応援してくれる企業や施設、学校なんかを考えても、年齢や性別、立ち位置もバラバラですよね。そこで全部アプローチの仕方を変える人って、Jリーグの選手ではあまり見たことがないです。
憲剛 「いま、誰とどんな立場で」というのはちゃんと考えていました。もし自分が逆の立場だったら、何がうれしいかなって考えたりもします。そこで重要だったのが、目線を同じにすることでした。例えば商店街周りの時に、入ったお惣菜屋さんで少し商品を食べさせてもらって買い物をしているお客さんと話したり、美容室だったら髪を切っている方に声をかけさせてもらったり。どこに自分たちに興味を持ってもらえるフックがあるかが分からなかったですけど、自分という存在を可視化してもらうこと、認知されることで変わっていく手応えは確実にありましたから。
村井 憲剛さんは相手の気持ちや位置を見てるんですよね。ピッチ上のプレースタイルもそうでしたけど、ホームタウンの人々も、スポンサーも、メディアも見ていたりする。ものすごく視野が広い。それとフロンターレの哲学がマッチしたんでしょうね。もちろんクラブによっては勝利を最優先にするところもあります。そこに答えはないですし、理念はクラブによって違う。その中でフロンターレは、どうやってその地域の皆さんに貢献するかを大事にしてきた。一緒に大きくなってきた感じですよね。この映画をご覧になった方は分かると思うんですけど、フロンターレにまつわる人には強烈な当事者意識があって、いろいろな歯車が噛み合って、みんなが強烈に動かすことで全部が連動していった。何か一つが欠けてもダメだったし、誰も歯車を止めなかったのも大きかった。今まで地域密着という理念を言葉で説明するのが難しかったですが、これからは「まずこの映画を見てもらえますか?」と伝えて、そこから議論をしてもいいくらいだと思います。
――もはや一つのクラブ、一人の選手の歩みという枠組みを超えた作品になっているということですね。
村井 これは川崎という地域限定の映画ではないし、フロンターレとかJリーグというカテゴリにも当てはまらない。困難な状況をすべて自分で背負いながら、それを克服していく物語なんですよ。だからこそ全国の皆さんに見てもらいたい。ただ、私はフロンターレ自体が完全な成功モデルとは思っていないです。ピッチ上では、まだアジアで勝つことができていないですしね。もちろん地域密着の取り組み、クラブを支え続けるサポーター文化は世界に誇れるものになりつつあると思いますけど、ピッチ上で繰り広げられるサッカーも、さらに上を目指してもらいたいと思っています。
憲剛 村井さんがおっしゃる通り、クラブのあり方として一つの形は提示できたかと思いますけど、これがすべてではないですよね。そういう意味では今年アジアで勝ってもらいたかった…(苦笑)。
村井 そこは来シーズン以降に持ち越しですね(笑)。Jリーグのあり方から考えていくと、フロンターレを一つのベンチマークにして、より個性のあるクラブを作ろうという動きが出てきたら面白いと思います。徹底的に強化に踏み切ったり、財政規模にこだわったり、世界的なスーパースターを集めるクラブがあってもいい。その多様性がJリーグですから。フロンターレのやってきたことを完全に横展開しようとは思わないし、マネをする必要もないです。ただ、これだけ強く信じて、継続してきたクラブがあることは、ぜひ知ってもらいたいと思っています。
――先ほど少し未来の話が出てきましたが、今後のフロンターレに期待することを教えてください。
村井 フロンターレも憲剛さんもここで終わりではないですから。大事なのは、この続編として、どんな映画が作れるのか。これがピークだったって言われないようにしてもらいたいですね。クラブの歩みを紐解くと、シルバーコレクターという歴史やコンプレックスを抱えて、成績も経営も危機感がベースにあったからこそ、突き進んでくることができたと思うんです。そういった部分を忘れずにいてもらいたいと思っています。
憲剛 だからこそ、このタイミングでクラブの歴史をちゃんと映像化して残せたのは大きいと思っています。誰もがこれを見ればクラブの成り立ちを理解できる。今後、もしうまくいかない時期が来たとしても、クラブスタッフや選手が入れ替わっても、理念はブレちゃいけない。フロンターレの新人研修は必ず全員がこれを見るでしょうし、新しく入社したクラブスタッフにも見てもらいたい。フロンターレが大事にしてきた原点が描かれていますし、困難な状況で立ち返るベースにもできると思います。
――最後にお二人から映画を通じて伝えたいことを含めてメッセージをお願いします。
憲剛 まずは作品に出てくる人たちの想いの強さと折れない心を見ていただきたいです。今回はサッカー選手とサッカークラブの話でしたけど、目標にたどり着くまでの努力や取り組みは、村井さんにもおっしゃっていただけたように、すべての人にでも当てはまると思うんです。途中までは困難だらけ、挫折ばかりの人生でしたけど、途中で誰かが折れてしまったら今はなかった。そういった想いの源についても、よく分かってもらえると思います。みんなそれぞれ嫌なこと、苦しいことがあると思いますけど、信念を強く持って努力し続ければ、僕は絶対に壁は乗り越えられると思っています。この映画を見て、少しでもそういった力に変えていただけたらと思っています。
村井 この映画を見られた方は、必ずや何らかの想いを抱くと思うんですよね。最初は川崎市内の2館上映ですけど、映画の中には少ない上映環境でも長く愛されて、徐々にメジャーになっていくものもありますし、そういう作品になる可能性は十分にあると思っています。ご覧になった方は自分の言葉でぜひ発信してもらいたいですし、私もJリーグやクラブを通じて、この映画の存在価値を伝えていきたいと考えています。
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。都立久留米高(現・東京都立東久留米総合高)、中央大を経て2003年に川崎フロンターレ加入。中心選手として17年、18年、20年のJ1リーグ優勝など数々のタイトル獲得に貢献。16年には歴代最年長の36歳で年間最優秀選手賞に輝く。20年限りで現役引退し、現在は育成年代の指導や、川崎フロンターレでFrontale Relations Organizer(FRO)を務めるとともに、解説者などでも活躍中。6月には現役最後の5年間について綴った『ラストパス 引退を決断してからの5年間の記録』(KADOKAWA刊)を上梓。
村井 満(むらい・みつる)
1959年8月2日生まれ。埼玉県出身。早稲田大学を卒業後、日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)に入社し、同社執行役員、リクルートエージェント(現リクルートキャリア)社長などを歴任。2008年よりJリーグ理事を務め、2014年1月31日に第5代Jリーグチェアマンに就任。近年はコロナ禍で難しい対応が迫られる中で、NPB(日本野球機構)や行政と連携して見事なリーダーシップを発揮。スポーツ界のみならず、日本全体のエンターテインメント業界を牽引するような動きを見せた。
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