1年でNPBから指名を受けた男が振り返る徳島の日々 需要が低い「右投左打・外野手」が生き残るためには…
【写真は共同】
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厳しい環境の中で得た大きな経験
「舞洲から始まって、私が徳島を見る度に打ちまくるというね。こりゃもう、獲らなしゃあないやろ(笑)。でも、力が出せるというのは、この世界で生きていくうえで非常に重要なことやから」
乾スカウトに茶野の印象を聞いた。
「おとなしい感じには見えますけど、自分の意志をしっかり持ってる。芯のしっかりした選手なのかなというのは感じました」
指名あいさつが行われたあと、再び取材陣が事務所内に入り、森スカウトと茶野に囲み取材を行う。育成指名とは言え、プロ1年目から24歳になる。求められるのは即戦力としての活躍だろう。森スカウトが答える。
「当然、そうですね。とにかくまずは支配下を目標にして。NPB入りがゴールじゃないのでね。まず支配下になって、1軍の戦力になれるように。そしてレギュラーを獲るというのが最終目標になると思います。これで満足してもらったら困るし、十分できる選手だと思っていますので」
そのコメントを受けて、茶野が答える。
「まずは支配下で、そして1軍で活躍するっていう目標を、どんなときでも持って。自分のやるべきことをしっかりとやりたいなと思います」
1年前に村川が指名を受けたことで、足と打撃を突き詰めていけば、自分もNPBに行けるんじゃないか? という道筋が明確に見えた。やるべきことがイメージしやすくなっていた。スピードがある選手は、上に行ける可能性が高い―。
徳島に入団した3月のキャンプ中、橋本コーチと目標を立てている。
「盗塁王を目指してみようか?」
その一言をきっかけに、今シーズンやるべきことを見つけている。
「球史さんにそう言ってもらって、そこから自分も本当に盗塁王を獲って、あとはもうバッティングだなと。四国アイランドリーグのピッチャー、レベル高いんで。そこのピッチャーについていけるようなバッティングができれば、もしかしたら行けるんじゃないかな? っていうのは……」
やるべき方向性は見えていたが、いざシーズンが始まると、思うようにチャンスをもらえない。
ようやく試合に出始めると、連戦による疲労や長時間の移動など、初めて経験する四国リーグの厳しさが目の前に立ちふさがる。赤松コーチが言っていた言葉が思い出される。
「『ホントにキツいよ』っていうのは聞いていたので、こういうことかって。『ずーっとフルではできない』って言ってましたから」
大学時代、文武両道を実践してきた。ゼミでの成績も優秀だった。レポートも毎回きっちり提出し、4年時にはゼミを代表して全校生徒の前で論文を発表している。『新規事業についての提案』がテーマだった。
だが、独立リーグとはいえプロ野球選手となり、野球だけをする生活を初めて経験することになった。アマチュア時代にはなかったシーズンを通して戦う疲労、結果を出さなくてはいけないプレッシャー、経済面など生活の問題とも直面している。
「試合数も土日だけじゃなくて平日も入ってきたり、連戦もあったりっていうのも初めてで。独立リーグなんで、生活的にもなかなかしんどい部分があって、体もキツいときもあったんですけど。でも、もう1年、2年って勝負(する期間)を決めてるので。疲れよりも、いまやるべき練習をやろうっていう感じで。そういう意味では、いいモチベーションで練習できてたかなと思います」
タイトル争いも経験した。40試合を消化した8月7日ごろから、首位打者争いは愛媛・大城雄一郎(小林西高)とのマッチレースとなる。この時点で茶野.349、大城.347と、茶野が2厘リードしている。
9月に入り、一時は大城が首位に立つなど順位を入れ替えながら、約2カ月間続いた戦いに終止符が打たれたのは9月21日、シーズンの最終戦となった対愛媛後期10回戦(むつみスタジアム)だった。茶野、大城、ともに無安打に終わった最終成績は、茶野.3164、大城.3157。わずか7毛差で茶野が首位打者のタイトルを手にした。
開幕前、橋本コーチと目標にした盗塁王のタイトルは、香川・押川魁人(関東学院大)の38盗塁に対し37盗塁と、1差で逃している。