高校野球と人権

「高校野球の常識」を変えようとしていた23年夏の慶應 選手の言葉で蘇った“蓋をしていた”記憶

中村計 松坂典洋

【写真は共同】

 日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える。甲子園から「丸刈り」が消える日――。なぜ髪型を統一するのか、なぜ体罰はなくならないのか、なぜ自分の意見を言えないのか。

 そのキーワードは「人権」だった。人権の世紀と言われる今、どこまでが許され、どこまでが許されないのか高校野球で多くのヒット作を持つ中村計氏が、元球児の弁護士・松坂典洋氏に聞いた。日本人に愛される「高校野球」から日本人が苦手な「人権」を考える知的エンターテインメント。

 『高校野球と人権』(著:中村計、松坂典洋)から一部抜粋して公開します。
 2023年夏、全国高校野球選手権大会で慶應義塾高校が優勝した。「エンジョイベースボール」というスローガンを体現したプレー姿、日本の一般的な男性と遜色のない長さの髪、そして自分の意見を臆せず表明できる自立心。そのどれもが新鮮に映った。新しい時代の到来を予感するのに、十分過ぎる出来事だった。

 彼らは口々に「自分たちが優勝して、高校野球の常識を覆したい」と言った。目標は日本一だが、目的は高校野球改革なのだ、と。

 この夏、オピニオンリーダーとしての役割も果たしていた主将の大村昊澄(そらと)は語る。

「高校野球だから、こうでなきゃいけないというのがいちばん嫌い。高校野球だから坊主(頭)じゃなきゃいけない、とか。自分たちが日本一になれば、何かが変わるだろうと思っていた。慶應は異端と言われてきた学校。遡れば、(創設者の)福沢諭吉先生も常識にとらわれないで、人と違っていても、正しいと信じることを貫いてきた。独立自尊という言葉がそれを象徴している。それが慶應の生き方なので、野球部もそういうことを発信し続けることが使命だと思っていました」

 勝つことの意味。それを選手自身が、社会的なレベルで、ここまで追求したチームはかつてなかった。

 大村の言葉は、監督の森林貴彦が言い続けてきたことでもある。正直なところ、この手の話は、あくまで大人の「持ち物」であり、高校生の手には余ると思っていた。

 実際、2018年に甲子園に出場したときの慶應の選手の一人は「選手たちにそこまでの(森林ほどの)思いがあるわけではないんですけど」と控え気味に語っていたものだ。

 だが、この年の慶應の選手は違った。森林の指導は広く、そして深く浸透していた。 エリート教育の本来の意味は、単純に持っている才能を伸ばすことだけではない。その集団の中で広く役立つ人材づくり、つまりはリーダーになりうる人材を育てることだ。

「森林野球」の神髄は、そこにこそあった。

 普段は穏やかそうなショートの八木陽(ひなた)に高校野球の何を変えたいと思っているのかと問うと、少し怒ったような顔をし、語気も鋭くなった。

「監督にキツイ言い方をされて、それでもハイハイやるような野球は楽しくないですよね。春も(監督の)暴力騒動とかあったじゃないですか。なんでそうなるのか。一部の高校だとは思うんですけど、監督の力が強過ぎて、選手が受け身になっているからだと思うんです。自分は監督に対しても意見をちゃんと言うし、うちのチームにはそういう雰囲気がある」

 大人の行き過ぎた指導態度に対して、現場の高校生が自ら声を上げるのを初めて聞いた気がした。

 八木は2005年7月生まれである。当時、18歳だ。この言葉を大人に言われたのなら私は何も思わなかったかもしれない。しかし、私の半分も生きていない高校生に目の前でこう言われ、形容しがたい衝撃が走った。そうなのだ。選手の側も、嫌ならば嫌と言えばいい。

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