崖っぷちリーガー 徳島インディゴソックス、はぐれ者たちの再起

徳島の地にプロ野球チームができた日 地元の声援、力をバックに新たな喜び生まれるも…

高田博史

【写真は共同】

 徳島インディゴソックスはなぜ独立リーグの虎の穴へと躍進を遂げたのか?とび職、不動産営業マン、クビになった社会人、挫折した甲子園スター…諦めの悪い男たちの「下剋上」とは? 崖っぷちリーガー 徳島インディゴソックス、はぐれ者たちの再起(著:高田博史、編集:菊地高弘)から一部抜粋して公開します。

徳島にとって「夢のような話」

 プロ野球が四国に、徳島に生まれる―。

 開幕を前にした四国アイランドリーグへの県民の期待は、決して小さなものではない。そこには「プロ野球の球団が生まれる!」という興奮があり、これまでテレビやラジオでしか試合を楽しむことができなかった徳島の野球ファンに、「スポーツ観戦」という新たな文化を植え付けようとしていた。徳島ヴォルティスが初めてJリーグ(J2)で戦うことになったのもこの2005年である。当時の徳島新聞のコラムに、こんな記述がある。

〈2つの人気スポーツのプロの試合を、県内にいながら観戦できる環境が整うとは夢のような話だ〉(2005年5月1日徳島新聞朝刊『記者の目』より)

 そう、徳島県民にとっては、まさに「夢のような話」が現実になろうとしていたのだ。昨年までは存在しなかったプロスポーツの大きなうねりのなかで、県民は間違いなく高揚していた。

 それは運営する側にとっても同じである。「プロ野球としての興行を行わなければならない」というプレッシャーは大きく、開幕前から大量のグッズ制作、マスコミを使っての大規模なPRが矢継ぎ早に行われている。そして、それらは県民の期待をさらに加速させた。だが、周りの誰も「大きな穴」の存在に気付いていない。

 前年の2004年12月、香川、東京、北海道、大阪、愛知の5地区で行われた一次トライアウトを受験した人数は、1100人を超える。このなかから約700人が一次選考を通過し、早くも16人の合格者が発表された。さらに翌年の1月13日、二次選考を突破した245人が福岡ドーム(現・みずほPay Pay ドーム)での最終トライアウトに臨んでいる。その結果、先に合格した16人を含む計100人の「アイランドリーガー」が誕生することとなった。

 開幕を前に、100人は香川県三豊市で合同合宿を行っている。上下白のユニフォームの左胸と、白いキャップの真ん中には、リーグマスコットである「マンタ」のイラストがある。泊まり込みで行われたこの合同合宿を経て、100人は4球団に振り分けられた。

 誕生した4球団のうち、徳島に生まれたのは「徳島インディゴソックス」である。徳島県の伝統産業である「藍染め」の藍色、鳴門海峡のインディゴブルーをイメージカラーにし、MLB球団、シカゴ・ホワイトソックス、ボストン・レッドソックスにあやかって、「インディゴソックス」を球団名にした。チームマスコットは、ホームベースを守るクモだ。やがて彼の名前は「ミスター・インディー」と名付けられる。

 4月に入ると、各球団はそれぞれにキャンプ、オープン戦を行い、シーズンへの準備が急ピッチで進められていく。徳島には専用球場がないため、鳴門教育大学のグラウンドを借りたり、観光バスで大鳴門橋を渡って淡路島まで行き、兵庫県立淡路佐野運動公園野球場で練習を行っていた。

 当時、観光バス代はもちろん、グラウンド使用料など、4球団の使った経費の支払いはリーグにすべて任されていた。球団スタッフは開幕に向けた準備に奔走し、現場の選手たちも自身のコンディションを上げるために必死に練習を行っている。球団の運営経費や、この後、次々と送られてくることになる請求書の束のことなど、誰も考えてはいない。

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