セーヌ河岸を「フェス会場」に変えたパリ五輪開会式 ラジカルな企画、演出から見えたフランスらしさ

大島和人

パリの名所が次々に現れる異例の開会式となった 【写真は共同】

 7月26日(現地時間)の夜、パリオリンピックの開会式が市内で開催された。型破りという表現がハマる、フランスらしさ満載の内容だった。

 五輪の開会式といえば「陸上競技場」「行進」と相場が決まっている。しかし今大会の組織委員会は船上パレードという異例のプランを立案し、実行した。パリ市内を流れるセーヌ川をオステルリッツ橋付近から、約6キロにわたって移動する船上パレード方式だった。

広範囲に敷かれた厳戒体制

 セーヌ川沿いにはノートルダム大聖堂、ルーブル美術館、そしてゴールとなるエッフェル塔といった日本でもおなじみの名所が並んでいる。確かに街の魅力を伝えるには最適のコースだ。

 パリの夏は夜が長く、4時間のセレモニーの前半はまだ夕方。パリの街を我々が楽しみつつ、後半は夜景や光の演出も楽しめる「いい時間帯」だった。

 もっとも陸上競技場の開催に比べて、手間や労力は確実に増えたはずだ。選手団11名が犠牲になった1972年ミュンヘン大会のテロ事件、1996年アトランタ大会の爆破事件といった悲しい事例を挙げるまでもないことだが、このようなビッグイベントはテロリズムの標的になる。パリ大会開会式の前日夜から当日朝にかけてフランスの高速鉄道TGVの施設が破壊され、運行が停止する事件も起こった。「6キロにも及ぶ川の両岸」を警備するのは、陸上競技場とはわけが違う。

 筆者はセレモニー開始前後のオステルリッツ橋付近、エッフェル塔のセレモニー会場の2カ所を見て回った。

 両岸をつなぐ橋は封鎖され、川から数百メートルのところから規制線が張られて一般人は立ち入り禁止状態。大勢のの警察官が銃器を携帯して目を光らせ、当然ながらIDと荷物の確認、ボディチェックも行われていた。しかもそこには延べ何万人という観客がやってくるのだ。

「フェス」「箱根駅伝」のようなライブ感

会場は単なるスポーツとは違う「お祭り感」が漂っていた 【写真は共同】

 一方で、集まる人は物々しさと裏腹に、心の底から楽しそうだった。観客に開放されたオステルリッツ橋付近の河岸は船上パレードが始まる2時間半前から十重二十重の人だかりができていて、水面はもう見えないほどの混雑。アルコールも含めた出店が用意されていて、それぞれがワイワイと語らっていた。同じ会場にいた知人は「フェス会場のよう」と評していたが、それは的確な評価だ。私は隅田川花火大会や箱根駅伝を思い出していた。

 もっともアリーナやスタジアムに比べると間違いなくタフな環境だった。開会式が始まる直前から市内は軽く雨の舞う天候だったが、4時間のセレモニー中に雨脚はどんどん強まっていった。だから「フェス」を楽しんでいた観客たちは、それなりに辛い思いをしただろう。

 しかも現地にいた人ほど、分かりにくいセレモニーだった。豊富な出し物は用意されていたが、広範囲に散る分散開催。ある橋の上ではファッションショーが行われ、別の河岸ではレディー・カガが歌う。開会式の締めとなる選手宣誓などのセレモニーはオステルリッツ橋から地下鉄で20分ほどの距離にあるエッフェル塔付近の公園内で行われた。

 画面が次々に「ベストショット」へ切り替わるテレビ中継のほうが身体的に快適で、情報量も多かったことは間違いない。仮に河岸の好位置に陣取ったとしても、ビジョンがそこまで豊富に用意されていたわけではなかったし、そもそも選手の通過は一瞬だ。

 もっともそれは箱根駅伝と同じで「真横で見る」「参加者に近い立場で、ライブ感を味わう」楽しさも分かる。いずれにせよあの天気、あの人混みを経験したスポーツファンには、忘れられない思い出が残ったはずだ。同時に無観客の東京大会を経験した者として、強烈な「羨ましさ」を感じる光景でもあった。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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