U-23日本代表が南米1位を5-0で撃破した理由 大一番で見せた「28年」の積み上げと試合巧者ぶり

大島和人

日本は2得点を挙げた三戸舜介らの活躍で、パラグアイに快勝している 【写真は共同】

 U-23日本代表が、何の誇張もなく「世界を驚かせる戦い」を見せた。現地時間7月24日にヌーヴォ・スタッド・ド・ボルドーで開催されたパリ五輪のサッカー男子1次リーグ「日本×パラグアイ」は、5-0という一方的な展開で決着している。

 日本はAFC U23アジアカップを制して五輪のキップをつかんだ。ただ本大会は3枠あるオーバーエイジ(24歳以上の選手)を活用できず、U-23年代も久保建英や鈴木彩艶のような海外組のトップレベルを呼べていない。

 パラグアイは人口700万人足らずの小国だが、長くブラジルやアルゼンチンと渡り合った。大一番で見せる「したたかさ」「闘志」は伝統と言っていい。古くから見ているサッカーファンならば日本が0-4で敗れた1999年のコパ・アメリカや、日本がPK戦の末に屈した2010年のW杯南アフリカ大会をご記憶だろう。

 さらに今大会のパラグアイは南米予選1位で、強力なオーバーエイジも起用している。アルゼンチンやスペイン、フランスと並んでメダル候補の一角だ。

 しかし「純U-23代表」の日本は、難敵を一方的な展開で叩きのめした。

先制点と相手の退場がポイントに

 会場で最初に感じたのはパラグアイの「熱」だ。全選手が肩を組んで国歌を高らかに歌い上げ、試合前のコイントスもわざわざ陣地を入れ替える念の入れよう。インテル・マイアミCFでリオネル・メッシとプレーをするディエゴ・ゴメス、グスタボ・カバジェロらのスピードは間違いなく脅威で、立ち上がりから「圧」も感じさせていた。

 ベンチで試合を見ていたFW藤尾翔太は、試合を終えてなお、パラグアイの「脅威」を口にしていた。

「強度が高いですし、カウンターも速い。そういうところで準備はしてきたけど、立ち上がりに押された部分もあったので、油断はできない相手だったと思います」

 日本は19分に待望の先制点を挙げる。斉藤光毅のスルーパスから左サイドバック大畑歩夢がエリア内までえぐり、シャドーの三戸舜介がボックスの「左角」に走り込んで叩き込む狙い通りの形だった。

 殊勲の「みとちゃん」は振り返る。

「自分たちの狙っているポケット(エリアの左右両端)で大畑選手から折り返しを受けたとき、細谷(真大)選手がセンターバックをブロックしてくれていて『なぜこんなにフリーなんだろう』というくらいゆっくり時間がありました。リラックスして打てました」

 先制点以上に試合の流れを左右した場面が、ウィデル・ビエラの退場だろう。ビエラは平河悠の足を強く踏み、負傷退場に追い込むラフプレーをした。VARの介入により主審の映像チェックが行われ、25分に退場が宣告された。

 パラグアイは立ち上がりから球際が激しい、言葉を選ばずにいえば荒いプレーを見せていた。南米サッカーにはありがちなスタイルで、「戦う」ことは彼らのアイデンティティでもある。もっともVAR導入により退場相当のプレーが見過ごされにくくなった2024年のサッカーでは、ラフプレーは相手を恐れさせるより、自分たちを苦しめる副作用が大きい。

 パラグアイは南米基準でプレーしていたが「世界基準」ではなかった。

相手の自滅を誘った老練な試合運び

パラグアイはカードが出なかった場面も含めて、ラフプレーが目立った 【写真は共同】

 日本は前半の残り時間を冷静に戦った。無理に2点目を取りに行かず、ボールを握って相手の圧をやり過ごした。

 例えばGK小久保玲央ブライアンは相手サポーターの大ブーイングの中でも「ボールを動かさず、FWが寄ってくるのを待つ」プレーを繰り返した。相手を焦らす、嫌らしい試合運びを見せていた。

 キャプテンの藤田譲瑠チマはこう説明する。

「相手の戦い方的にも、そうやった方が相手に合っていたところはあるとは思いますけれど、自分たちがボール持ちながら、チャンスがあれば相手の隙を突くプレーも多く出ていた。その中でしっかり点を取れて、すごく良かったです」

 攻め気を失ってただテンポを落とすだけなら、5-0にはならなかった。それは「布石」だった。

 日本は63分、斉藤の左クロスから三戸が本日の2点目をヘッドで決める。69分には藤田のスルーパスから佐藤恵允が右サイドを切り裂き、ファーサイドに飛び込んだ山本理仁がミドルを叩き込んだ。試合は3点差となり、日本の勝利は動かしがたいものとなった。

 しかも73分から攻撃陣3枚を入れ替えると、日本の勢いは更に加速する。途中出場の藤尾翔太が81分、87分と連続ゴールを決め、パラグアイの心を折った。

 藤尾には15日前までFC町田ゼルビアのチームメイトだった平河への思いもあった。

「相手がラフに来るというのは分かっていた。悠はやられましたけど、そういう部分は、やはり思うところがありました」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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