河村勇輝のNBA挑戦が持つ意味と可能性 壁に立ち向かう「過程」で成長してきた男が目指す次の高み
河村が向かう2つの「厳しい挑戦」
五輪、NBAとも決して容易なステージではない 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】
出場12カ国は3つのグループに分かれ、「各国の上位2チーム」と3位から得失点差の上位2チームがベスト8に勝ち残る。日本が予選リーグで対戦する3カ国は確実に「格上」だ。
日本は6月22日・23日にオーストラリア、7月5日・7日に韓国と調整試合を行っている。八村塁と渡邊雄太を欠きつつ、当落線上の選手を試しつつの戦いではあったが「1勝1分け2敗」の戦績は率直に言って物足りない。
ようやく88-80と勝利した7日の韓国戦後に、河村はこう語っていた。
「まだまだ足りないことばかりで、この2ゲームの出来だとベスト8という目標は難しい。これが本番でなく良かったというのが、正直な気持ちです」
2試合を通じて韓国ディフェンスのローテーションが素晴らしく、日本はなかなかオープンな3ポイントシュートを打てていなかった。
7日の試合は河村とジョシュ・ホーキンソンのピック&ロールがスムーズに機能して、インサイドからの得点で韓国を上回った。もっとも五輪出場国に対して、日本がインサイドで高さのアドバンテージを取ることは有り得ない。「シューターにどういい形で打たせるか」「外から決め切るか」という大きな課題がチームにはある。
とはいえ、五輪が厳しい挑戦であることはこの競技に携わる全員が分かっている。
河村がNBAのコートに立てるのか、日本を世界のベスト8に導けるのかという問いに対して、まだ根拠を持って「YES」とは言えない。
一方で過去に河村が過去にいくつも「壁」を乗り越えてきたこと、そして彼が厳しい挑戦に対して臆せず立ち向かうマインドの持ち主であることは確かだ。
河村が乗り越えてきた壁
高1当時の河村勇輝は当然ながら「粗さ」の残るプレイヤーだった 【写真は共同】
当時は61キロと細身だった16歳の彼は、大会を終えてこう述べていた。
「自分がPGとしての役割をしっかり果たせていない試合が多かった。アウトナンバー(数的有利)からの速攻などを、勢い任せでやることが多くて、それだとターンオーバーが増えてしまう。行くところと行かないところを、しっかりと区別してやっていきたい」
その翌年には安定したゲームコントロールを身に着け、高2、高3と同大会連覇の立役者になった。
東海大1年の冬に特別指定選手として横浜BCでプレーしたときも、彼は苦しんでいた。速攻を得意とするカイル・ミリングHC(当時)のセットオフェンスを重視するスタイルにハマらず、なかなか強みを発揮していなかった。体格改造とともに身体のバランスが変わり、3ポイントシュートの成功率は20.5%まで落ちた。
しかし翌2021-22シーズンは大幅に持ち直すと、2022-23はB1のMVPに輝いた。172センチ・75キロとフィジカル的にも逞しくなった彼は、B1と日本バスケを代表するPGとしてアメリカに向かう。エリートと言えばエリートだが、彼には大学中退も含めて自力で運命を切り開く逞しさがある。壁を乗り越える人間力、成長力こそが最大の強みだ。
河村は福岡第一高をウインターカップ連覇に導いたが、一方で「高校バスケの主役」がそのままプロで通用するとは限らない。彼を人気先行の作られたスターと見ていた、「高校限定」「国内限定」の選手と可能性を過小評価したバスケ通もいたはずだ。ただ、そんな評価は23年夏のW杯で完全に覆った。
バスケ人生最大のチャレンジへ
【提供:横浜ビー・コルセアーズ】
「僕がこれまでバスケットをやってきた中で、間違いなく一番大きなチャレンジになると思います。バスケットだけではない、色々な側面で難しい部分も出てくるはずです。そういった問題が起こったときに、どれだけ自分を律して、成長していけるかが大切です。ひとりでの生活になっていくことで、どれだけ自分との戦いに勝てるかは問題です。そういった覚悟はしっかりと持っているし、どんな困難になろうと立ち向かう自信はあります。そして困難が一番自分を成長させてくれるーー。バスケットのスキルだけではなくて、人として成長できると信じているので、すごく楽しみです」
河村は挑戦を好み、壁に立ち向かう過程から成長してきたアスリートだ。そんな彼にとって、NBAは間違いなく最高の舞台だ。