日本代表&五輪代表の重要な選手供給源に── STVVがこの6年半で果たしてきたミッション
第2期のターゲットはGKとストライカー
日本代表とは縁がない鈴木優磨だが、STVVではゴールを量産し、チームMVPにも選出された。当時の経験が、鹿島に戻った現在に間違いなく生かされている 【Photo by Vincent Van Doornick/Isosport/MB Media/Getty Images】
「GK王国」と言われるベルギーだけあって、国内リーグには実力派のGKが揃っている。STVVにもケニー・ステッペというレベルの高い守護神がいた。そのステッペとの競争に勝ったシュミット・ダニエルは、負傷で離脱した時期を除き、19-20シーズンから4年の長きにわたってSTVVのゴールマウスを守り続けた。
「ケニーはチームの精神的な支柱。足元の技術もあって、キックの精度もすごく高くて、セービングには“伸び”があって、動きが素早い。昔はオランダリーグ(ヘーレンフェーン)でプレーし、U-21のベルギー代表にも入って、ベルギーリーグの最優秀ゴールキーパー賞(07-08)も受賞しました。そんな実力者と競うのは自分のキャリアにとって大きなこと」
出場機会こそなかったものの、22年W杯の日本代表メンバーに入るなど、STVVのGKプロジェクトは、シュミットの活躍によって一定の成果をあげた。
一方、日本人ストライカー陣はこの間、鈴木優磨、林大地、原大智がレギュラーとして活躍した。チーム内得点ランキングを振り返ると、彼らの貢献度の高さが伝わってくる。
●19-20/ヨハン・ボリ:11ゴール、鈴木:7ゴール
●20-21/鈴木:17ゴール、デュカン・ナザン:7ゴール イロンベ・ムボヨ:4ゴール
●21-22/原:8ゴール、林:7ゴール、クリスティアン・ブルールス:7ゴール
●22-23/ジャンニ・ブルーノ:20ゴール、林:8ゴール
STVVの関係者が惜しがるのは、鈴木が日本代表になかなかたどり着けないこと。STVVでのデビューシーズン(19-20)は出遅れたが、ボリと2トップを組むことで覚醒し、現地で“ボリキ(ボリ+鈴木)”というコンビ名も授かった。2年目の20-21シーズンはムボヨと新コンビを結成して17ゴールという圧巻の数字を残し、18-19シーズンの冨安に続き、日本人選手として2人目のチームMVPに輝いた。
そんな点取り屋に興味を示し、クラブ・ブルージュ、アンデルレヒトが獲得に乗り出したが、本人は国外クラブへの移籍を模索。しかし、一時はドイツのシャルケ入団に秒読み段階までこぎ着けたものの、結局は破談に終わった。それから半年後の22年1月、鈴木は古巣・鹿島アントラーズに加入し、現在も中心選手として活躍している。
23-24シーズンはニュルンベルクにレンタルされていた林(24年6月に古巣ガンバ大阪に完全移籍)は、背番号8の由来である「∞(無限大)」の走力を生かし、サポーターの心を掴んだ。どこの国でも頑張りをピッチの上で表現できる選手は人気者なのだ。
191センチの高さと足元の上手さが魅力の原は、アラベスからのレンタルを繰り返してSTVVに2季(1シーズン半)在籍。21-22シーズンは8ゴール・3アシストと結果を残したが、22-23シーズン後半戦は無得点に終わった。
橋岡大樹は昨冬の市場でルートンに加入。STVVの日本人で、初めてストレートでプレミア入りした選手になった。右サイドを何度も全力で往復し、攻守に迫力あるプレーを披露する彼もまた、サポーターから愛された選手だった。
個人的に忘れられないのは、23年11月3日のオイペン戦。この試合のSTVVは左でゲームを作り、右の橋岡のところで勝負する「戦術・橋岡」のような戦い方をしていた。しかし調子が良すぎたのか、限界を超えるまで走った橋岡は77分に負傷退場してしまう。このときのパフォーマンスを鑑みると、彼のルートン移籍に納得する。
“第2期”の後期には香川真司、岡崎慎司の加入という大きな出来事もあった。香川はチームのクリエイティブ不足解消という任を帯びてのSTVV入団だったが、岡崎は新チームが決まるまでのコンディション調整を目的としてSTVVの練習に参加していた。しかし当時のドイツ人監督ホラーバッハは元々、日本人選手のプレー、メンタリティが大好きで、「岡崎をぜひ獲得してほしい」と首脳陣に逆オファーした。
日本のレジェンド2人の影響を、STVVの立石敬之CEOが語ってくれたことがある。
「彼らから若い選手にアドバイスがあった。香川は原とサウナに入りながらいろんなアドバイスをしたり。香川と岡崎はちょっとタイプが違うけれど、2人とも良い影響を与えてくれた。そういうのが大きいんですよね。彼らのようなヨーロッパでやり切った選手に、最後にプレーしてもらうのは、特にSTVVにとっては良いのかなと思います。例えば監督に対して、みんなが『うん⁉』と思うような状況でも、香川が我慢しているのを見れば、みんなも我慢したりする。ホラーバッハは岡崎のことが大好き。メンバー表に最初に書くのは岡崎の名前でした」
岡崎は22-23シーズン、中盤で身を粉にして戦い切った。ストライカーに再挑戦した23-24シーズンはカップ戦で1️ゴール。そのやり切る姿はSTVVの若手にとって財産になった。
うまくいかなかった関根や松原もJリーグで
五輪に非協力的な欧州クラブが多い中、STVVはこの藤田など所属選手を快く五輪代表チームに送り出している。日本サッカー界への貢献が、クラブ理念の根底にある 【©️STVV】
サポーターに話を聞くと、藤田の人気がとても高い。マティアス・デロージュ、伊藤涼太郎との競争が激しく、23-24シーズンは必ずしも満足の行くものではなかったが、目の肥えたファンたちは藤田のテクニック、守備、闘争心を高く評価していた。
“マジシャン”の異名を持つ伊藤はゴール前での勝負強さを発揮して、加入1年目の23-24シーズンにFWアブバカリ・コイタの15ゴールに次ぐチーム内2位の7ゴールをマークした。本人はこの数字に納得いかない様子で、来季は2桁得点に期待したい。
1年目の昨季は不振に終わったものの、DF小川諒也は1つの模範を示してくれた。第24節のセルクル・ブルージュ戦、STVVは0-4で負けていた。しかし途中出場の小川は後半アディショナルタイムに鋭いクロスからアシストを記録し、“捨て試合”を次につながる意味のある試合にした。
それまでほとんど試合に絡めなかった小川にとって、これほど大きなアピールはない。ヴィットリア(ポルトガル)で結果を残せず、崖っぷちの27歳はこのアシストをきっかけに調子を上げ、終盤戦だけで1ゴール・2アシスト。FC東京からSTVVへの完全移籍を勝ち取った。こういう姿を見て、何も感じない人はいないだろう。
STVVでうまくいかなった選手もいた。“第1期”の関根貴大は負傷に悩まされ、せっかくゴールを決めたシーンでまたも怪我をした。あのとき、みんなが祝福しに来たのに立ち上がれず、ピッチの上で臥せっていた彼の姿が忘れられない。しかし、19年夏に古巣・浦和レッズに復帰すると、22年にはACL(AFCチャンピオンズリーグ)制覇という大仕事を果たした。
“第2期”ではDF松原后が初先発の試合で相手の個のチカラに圧倒され、出番を失っていったことがあった。その後、カムバックを果たすまで時間こそかかったが、昨季は22年に完全移籍したジュビロ磐田の昇格に大きく貢献し、今季もJ1で輝きを放っている。左足からクセ球のクロスを蹴り込む松原の姿を見て、磐田の藤田俊哉SDは「后は欧州基準のスピード、強さを知って日本に帰ってきた」と目を細める。
20年の夏に入団した中村敬斗はトゥエンテ(オランダ)でうまくいかなかったリベンジを、結局STVVで果たせなかった。それでもその後オーストリア(LASKリンツ)、フランス(スタッド・ランス)で実績を築き、今や日本屈指のサイドアタッカーと呼ばれるまでになった。
STVVは日本代表&五輪代表の重要な選手供給源だ。夢叶わずステップアップを果たせなかった選手もいるが、ほぼ全員が、新たな移籍先で主力として活躍している。もう1つ、見逃せないのは、日本人選手たちがSTVVのサポーターから大きなリスペクトを受けていること。彼らは日本人選手が何人チームにいても不満を漏らさない。
欧州における最初のステップの場として、もしくは欧州での再挑戦の場として、STVVは日本サッカー界に計り知れない貢献を果たしている。
(企画・編集/YOJI-GEN)
【YOJI-GEN】