長谷部誠・独占インタビュー(前編) 中田英寿さんにはぐらかされ、香川真司と共感しあえた、引退決断までの過程と幸せとは
2012年の経験は人生の中でも3本の指に入るくらい大きなものだった
南野にそう伝えたことは今でも覚えていますし、田中碧が挙げてくれている話は、合宿中に長友(佑都)から「どうしたら、長谷部さんみたいに息の長いキャリアを送れるのですか?」と聞かれたときの答えなんです。
――何と返したのですか?
僕は逆に「本当に長くプレーしたいと考えているの? みんなにとって、長く現役生活を送ることが目標ではないでしょう? サッカー選手にはそれぞれ価値観があるわけだから、一瞬の輝きを求める選手もいれば、長くプレーしたいと思う選手もいる。価値観は人それぞれだよ」と答えたんですよ。キャリアのなかで大きな決断をしても、それが良かったかどうかは、すぐにはわからない。その決断が良かったかどうかを決めるのは、近い未来ではなく、遠い未来だと思うんです。
――深いですね。
たとえば(2012年の夏に)イングランド移籍を画策してから、ベンチメンバーにすら入れなかったときがありましたよね。当時は「あんなことしなければ良かったかな」と思ったときもありました。だけど、今になって振り返れば、あれは自分の人生の中でも3本の指に入るくらい大きな経験で。自分を成長させてくれた期間でした。移籍をしようという決断がなかったら、ああいう経験はできなかったと思うので。
だから、何かを決断するときには、短いスパンではなく、長いスパンで考え、自分の成長につながるかどうかを僕は大事にします。短期的には苦しくて、大変になるかもしれないけど、それはきっと将来意味のあるものになるから。昔、自分の本(※編集部注:『心を整える。』)でも書かせてもらいましたけど、「迷ったら難しい方を選ぶ」タイプなのでしょうね、自分は。
――ちなみに、あの苦い経験はどのような成長につながりましたか?
あの時期は、サッカー選手としてというより、人間として、地中に向かって根をぐっと張った時期でした。それまでの自分は、風に吹かれたり、押されたりしたら、すぐ倒れてしまう木のようなものでした。だから、似たような境遇にある若い選手がいたら、「良い経験をしているな」と声をかけてあげたいですね。
――あの経験はサッカー選手としての思考に影響を与えましたか?
なんでしょうね。うーん……「サッカーの世界はとても速いスピードで進んでいく」ということを学べたことかな。当時は(フェリックス・)マガトさんが監督とGMの両方を兼ねていたので、「冬の移籍期間まで試合に出るチャンスはないだろう」と覚悟していました。ただ、チームの成績がふるわず、マガトさんがチームを去ることになり、そこから自分もまた試合に出られることになって。この世界では、1、2試合ですべてがガラッと変わるのだと体感しました。それからですかね、変わったのは。
――というと?
たとえば、ある試合で良いプレーができて、チームが勝ったときもそうです。もちろん僕も喜ぶんですよ。でも、喜びを爆発させることはなくなって。「次の試合で負けたら、評価なんて、すぐにひっくり返るぞ」と思ってやるようになったし、そういう意味では、気持ちの波のようなものをなくすようになったという感じですかね。
続編では、これまではセカンドキャリアについてあまり言及してこなかった長谷部がドイツの道で指導者の道へ進もうと腹をくくった理由について、詳しく語ってもらった。また、よく知られているあのルーティンについての秘話も明かされる。
<後編へ続く(6月26日掲載予定)>