福永祐一著「俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた 27年間の記録」

「祐一さん、最近危ない騎乗を…」川田将雅が忠告 福永が米遠征で得た経験と自身が招いた慢心の先に…

福永祐一
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 誰もが「天才ジョッキー」と評する父・福永洋一が果たせなかった日本ダービー制覇、無敗のクラシック三冠。まさに全盛期のトップジョッキーが突如、調教師に転身――。その大きな原動力になったものとは?
 自身の才能を見極め、己と向き合い続けた男の「思考」と「決断」の軌跡。

 福永祐一著「俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた 27年間の記録」から、一部抜粋して公開します。

アメリカのホースマンからの洗礼

【写真:アフロ】

 もともと海外志向が高かったわけではないが、「せっかく行くのであれば、リーディングという結果を残してから」という考えは以前からあり、2012年の夏は、ある程度の長期でどこかに行きたいとは思っていた。

 そんなとき、角居勝彦調教師から紹介されたのがアメリカ西海岸で馬のエージェントをしているという女性で、「優秀なエージェントがついてくれるのであれば」ということを条件に、話を進めてもらうことに。

 その後、アメリカのトップジョッキーとして当時活躍していたコーリー・ナカタニのエージェントの枠が一人空いていることがわかり、彼がエージェントを引き受けてくれることになった。

 トップジョッキーのエージェントということで、どれだけ乗せてもらえるのかを楽しみにしていたのだが、さすがは激戦区といわれる西海岸。水曜日から日曜日まで毎日開催がある中、1日2レース乗れればいいほうだった。

 しばらく過ごしているうちに、日本でもお馴染みの名騎手オリビエ・ペリエの師匠であるパトリック・ビアンコーヌに「調教に乗るか?」と声をかけられた。さまざまな事情があり、フランス、香港、アメリカと渡り歩いていた人物だが、非常に優秀な調教師で、彼に認めてもらえたことはとても大きな出来事だった。

 そのうち、調教だけでなくレースも全部自分を乗せてくれるまでになったあたりで、札幌記念に乗るために一時帰国。文字どおり、とんぼ返りでアメリカに戻ったのだが、それ以来、調教もレースもまったく乗せてもらえなくなった。
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