現地発! プレミア日本人の週刊リポート(毎週水曜更新)

ボルトンで出会った西澤明訓と中田英寿 プレミアリーグに挑んだ2人の先駆者の記憶

森昌利

中田が長くプレーしたセリエAを離れプレミアリーグにやって来たのは2005年夏。ボルトンの選手として奮闘したその2005-06シーズンが、現役最後のシーズンとなった 【Photo by Matt Roberts/Offside via Getty Images】

 2001-02シーズン、ガンバ大阪からアーセナルにレンタル移籍した稲本潤一とともに日本人で初めてプレミアリーグに参戦したのが、昇格チームのボルトンに加入した西澤明訓だった。さらに4年後の2005-06シーズンには、イタリアのセリエAで実績を残した中田英寿がそのボルトンに新天地を求め、プレミアリーグでプレーした。今回は、かつてボルトンに所属した2人の日本人プレーヤーの取材回顧録をお届けする。

歴史に残る5強の争いに発展してほしい

 大会前の下馬評がすこぶる高く、2月10日(現地時間、以下同)の決勝に進出するものとばかり思っていたので、今週末のリーグ戦まで日本人選手の取材は休みの予定だった。ところが日本代表が準々決勝でイランに不覚を取ってアジアカップから敗退。トーナメントは怖いとあらためて実感するとともに、1週間早く、今週末からプレミアリーグの取材を再開することになった。

 一方、突如として今季限りの勇退を発表し、サポーターを呆然とさせたユルゲン・クロップのリバプールは、2月4日のアウェーのアーセナル戦で1-1の同点で迎えた後半22分、主将のフィルジル・ファン・ダイクとGKアリソンの名手2人がゴール前で信じられない“お見合い”をして、ガブリエウ・マルティネッリにこれ以上ないごっつぁんゴールを許した。

 試合終盤にセンターバックのイブラヒマ・コナテが2枚目のイエローカードを受け取って退場となり、アディショナルタイムに途中出場のレアンドロ・トロサールに3点目を奪われ、最終的には1-3負けとなったが、事実上、ファン・ダイクとアリソンのミスで献上したゴールで試合は決していた。

 これでリバプールは9月30日のトットナム戦以来、16試合ぶりにリーグ戦で敗戦を記録した。今季の2つの負けが両方とも北ロンドンで喫したものなのは偶然だろうが、リバプールの同点弾もアーセナルDFガブリエウの“ハンドボール”で決まるという、これまた奇妙なミスから生まれたゴールだった。

 昨年12月23日にアンフィールドで行われた同カードが両軍ともほぼノーミスで、非常にクオリティの高い試合だっただけに、この試合が「期待外れ」と言うと酷かもしれないが、双方ともに大きなプレッシャーがかかった試合でびっくりするようなミスでゴールを許してしまったのは興味深い。やはり重圧というのは意外性を生むものなのか。

 それはともかく、このアーセナル勝利で今季の優勝争いが混沌とし、全く目が離せない展開となった。願わくばこのまま、マンチェスター・シティを加えた三つ巴、いや、ついでにアストン・ヴィラやトットナムまで巻き込み、歴史に残る壮絶な5強の争いに発展してほしい。

 そんな騒々しいタイトルレースでヘビーメタルのクロップを送り出すのも面白いと思っている。

アラダイス監督は西澤を使いたがっていた

ボルトンで西澤、そして中田のボスだったアラダイス。徹底的に守りを固め、失点しないことを追求する極めて守備マインドが強い監督だ 【写真:ロイター/アフロ】

 実は今回のコラムは先週に予定していた。しかしご存じの通り、ドイツ人の大男が衝撃的な勇退発表をしたおかげでお預けになってしまった。

 ということで今週は、2001年にプレミアリーグの取材を開始して通いに通った、思い出に残るボルトン・ワンダラーズと、このクラブに所属した2人の日本人選手について記してみたい。

 まず1人目は、筆者がスポーツ紙の通信員となって初めて担当した日本人選手である元日本代表FW西澤明訓だ。

 西澤がやって来た2001-02シーズン、ボルトンは2部リーグから昇格したばかりだった。監督はサム・アラダイス。今年の10月で70歳になるアラダイスはイングランド・サッカー界の長老的存在になりつつあるが、当時は46歳の働き盛り。この時の会長だったフィル・ガートサイド氏(2016年に63歳で他界)と親友関係にあったこともあり、イングランド1部リーグに押し上げたヒーローとして、10年の長期契約をしたことでも話題になった。

 1954年生まれで、1973年にボルトンのセンターバックとしてデビューし、イングランドのフットボールが本当に荒々しかった時代を生き抜いた。選手時代はとにかくフィジカルで、手段を選ばず相手のFWを妨害することに徹したアラダイスは、監督になると当然のように失点を忌み嫌った。

 高級紙『デイリー・テレグラフ』のおとり取材に引っかかり、FIFAやイングランドFAが厳格に禁ずる“選手の第三者保有”を容認する発言(大失言)をして2カ月で解任されたが、2016年にはイングランド代表監督にまで登り詰めている。その当時、フットボールにおいて「クリーンシート(無失点)が最も大切だ」と発言していたことからも、点を取られなければ負けないというポリシーを追求する超守備派監督であるのが分かる。

 そんなアラダイスがプレミアリーグ昇格1年目のチームに「徹底して守れ」と指示したのは当然だった。

 4-3-3システムとはまことに名ばかりで、このシーズン、新年を迎えるまでに全公式戦を通じて14ゴールと突如として本格化して、イングランド代表にも招集された当時22歳のFWマイケル・リケッツをポツンと前線に孤立させる布陣を敷き、他のフィールドプレーヤー9人で徹底的に守った。

 そんなチームで、足元の良さを売り物とする日本代表FWが居場所を見つけるのは簡単ではない。

 今記録を見直すと、西澤の公式戦出場はカップ戦3試合だけでゴールは1。これはまるで“守らず、上手いだけの選手は使わない”というアラダイスの意向が反映した結果に見える。

 しかし、本当のところは、アラダイスも西澤を使いたがっていたのだ。

西澤の表情を曇らせた監督からの伝言

西澤はボルトンに所属した約半年間でリーグ戦出場はなし。自分の力を発揮できる環境ではなかったチームで苦しい時期を過ごした 【Clive Brunskill/ALLSPORT】

「お前は少し英語ができるよな?」

 会見でいくつか質問したことを覚えていたのか、突然、アラダイスに声をかけられた。そしてなんと、「ちょっと話をしよう」と言われて、クラブハウスに誘われたのである。

 それはプレミアリーグの序盤戦が終了し、ボルトンがサンダーランドとニューカッスルに連敗して、開幕3連勝の華々しい幕開けが少々色褪せ始めた10月のことだったと覚えている。

 そこでアラダイスは「今季のうちの使命は分かるよな? プレミアリーグに残留することだ。そのためには今の戦略と布陣がベストなんだよ」と語り出すと、「1トップの位置はリケッツで決まりだ。アキノリがあの位置でやりたがっているのは分かるが、これは動かせない。だから試合に出たければ、右サイドでプレーしてもらうしかないんだ。それを彼に伝えてくれないか?」と言われたのである。

 確かに当時のプレミアリーグは現在と違い、メディアと監督の距離が近く、のどかな雰囲気もあった。しかし、監督から日本人選手への伝言を頼まれたのは、今季で24シーズン目となるイングランドでの取材生活でもこれっきり、たった一度のことだ。

 もちろん西澤に伝えた。しかし日本人選手として初めてラ・リーガでプレーし、技術の高さに自信を持っていた当時25歳の日本代表FWはこの伝言を聞いて、明らかに表情を曇らせた。

 そして「適材適所が分かっていない。僕は2トップの一角でプレーして本領を発揮する選手なんです」と言って、監督の希望を完全に遮断した。

 しかしそれもそうだと思った。あの22年半前のボルトンの右サイドでプレーするということは、90分間のほとんどを右サイドバックと連係して、文字通り体を張り、肉弾戦を仕掛けて、相手の攻撃をしのがなければならない――ということだった。まさに露払い。そして監督が公言する通り、攻撃はリケッツという飛び道具に頼るだけ。こんなフットボールでは、フランス代表を相手に見せたアクロバットなボレーシュートが語り草になっていたあの頃の西澤が「ここじゃ俺の見せ場が全く作れない」と嘆くのもよく分かった。

 結局、西澤は2002年を迎えてすぐ、21世紀になったというのに呆れるほどロングボール一辺倒で、完全に中盤を省略するフットボールを展開していたボルトンに見切りをつけて、古巣のセレッソ大阪に復帰した。

 管理が緩く、プレミアリーグ・クラブの練習場に簡単に出入りできた当時は、駐車場で西澤の出待ちができた。そしてそんな冬のある日、アラダイスの言葉を伝えた筆者には正式発表する直前、「帰る決断をしました」と、そっと教えてくれた。

 しかしこれも古色蒼然としたイングランドのフットボールが色濃く残る時代の話。西澤がこのリーグでプレーをしても進化できないと思ったとしても責められない。

 この西澤との別離から3年半後、驚いたことにスーパースターがボルトンにやって来た。そう、中田英寿である。

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著者プロフィール

1962年3月24日福岡県生まれ。1993年に英国人女性と結婚して英国に移住し、1998年からサッカーの取材を開始。2001年、日本代表FW西澤明訓がボルトンに移籍したことを契機にプレミアリーグの取材を始め、2024-25で24シーズン目。サッカーの母国イングランドの「フットボール」の興奮と情熱を在住歴トータル29年の現地感覚で伝える。大のビートルズ・ファンで、1960・70年代の英国ロックにも詳しい。

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