バドミントン、手術回避の廣田彩花「レースを最後まで戦いたい気持ちは強かった」=単独インタビュー

平野貴也

最終確認の電話で方針転換

――手術回避の方針が発表されたのが、1月5日でした

 12月29日に今井彰宏監督から電話がかかってきて、話をしました。意思の最終確認という感じでした。手術をすると決めたのは、やろうと思っても動けないから。手術をせず、東京五輪のように(装具でひざを守りながら)プレーするとしても、遠征の全日程にトレーナーさんに付いてもらわない限り、絶対にできないと思うという話をしました。でも、監督は「そういうのは何とかする。お前の気持ちはどうなんだ」と言っていました。そのときは、混乱しましたけど、もう最後のタイミングだと言われたときに「やっぱり、やります」と言いました。今は、電話があって良かったと思います。ケガをする前から、レースを最後まで戦いたい気持ちは強かったし、手術をすると決めてからも、心のどこかに、やっぱりやりたい気持ちはあったので。どうなるかは分からないけど(五輪出場の)チャンスは、ゼロじゃないから。挑戦してダメだったら、悔いが残らないのかなと、今は思っています。

――実家で、ご家族にも手術の方向で報告されていたと思うのですが?

 どうやって(方針変更を)言えばいいんだろうと思いました(笑)。ご飯のときに言って、家族は「やれるの? 決めたなら、やるしかないね」と理解してくれましたけど、ビックリしていましたね。

――1月4日のチーム始動日の報告は?

 福島先輩には「また迷惑をかけますけど、お願いします」と伝えました。社長にも、ケガをした状態だけど五輪を目指しますと報告し、サポートすると言っていただいたので、感謝しています。

五輪を目指して3大会に参戦予定「奇跡が起きたら五輪に出たい」

廣田の負傷でいばらの道となったが「フクヒロ」ペアは、五輪レースを戦い続ける 【筆者撮影】

――今後、目指す大会は、3月のフランスオープン、全英オープン、4月のアジア選手権になるかと思います。状況はいかがですか

 左ひざは、腫れが引いて、痛みがなくなってきて、走れるようになってきました。少しずつ、やれるんじゃないかという気持ちになって来てはいますが、まだ動くと怖さも不安定感もあるので、どこまでできるかなという感じです。コートの中では、まだ(相手の球に応じて自由に動くメニューはせずに)決まった動きを少ししているだけの状況です。

――プロテクターをつけてプレーする姿は、東京五輪で見ました。状態を比較すると?

 装具をつけて動くのは2回目なので慣れましたけど(笑)、右ひざをケガしたときとは、できることとできないことが、それぞれ違います。動きながらやっていくしかありません。

――今後、4月末まで続く出場権獲得レース、その先に見据えるパリ五輪に向けて、気持ちを教えてください

 どこまでやれるかは、本当に分かりません。でも、東京五輪のときみたいに、最後まで諦めることなくやっているところを見せられたらいいなと思います。今は、まず、やりきりたいという気持ちの方が大きいです。でも(パリ五輪に)出るためにやってきていたので、チャンスがあるなら、奇跡が起きたなら、出たいなって思っています。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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