ドラ1大学生投手の知られざる高校時代【常廣羽也斗編】 広島1位の即戦力右腕を覚醒へと導いた反骨心
師弟ともに内心ガッツポーズの快投
試合前、花田氏は常廣を呼んでこう耳打ちした。
「お前のことは、まったく知られていないみたいだ。なんか腹が立つな。いいか、常廣。試合後にスカウトが俺のところに挨拶に来るぐらいのピッチングをしてみろ」
すると常廣は、高校時代の自己最速142キロを連発し、11奪三振で松下に投げ勝ったのである。試合後、花田氏が次の試合のスタメンを記入していると、部長がやってきてこう言ったそうだ。
「先生、スカウトの方がご挨拶したいそうです」
もちろん、師弟ともに内心はガッツポーズだ。常廣は翌日の宮崎日大戦にも登板し、12奪三振で圧倒。まさにこれ以上ない万全の状態で、最後の夏を迎えることとなった。
継投に関する進言に感じた成長の跡
高校、大学時代と通じて、強力なライバルの存在を糧として成長を遂げてきた。青山学院大4年時には東都リーグと全日本大学選手権の優勝に多大な貢献を果たす 【写真は共同】
「もう常廣が限界です」──。夏本番に向けて“メイチの仕上げ”が裏目に出たのか、それともエースとして気負い過ぎたのだろうか。たしかに相手の三重総合は、夏前最後の公式戦・県選手権で敗れた相手で、1球たりとも気は抜けなかったが……。
花田氏が降板を告げると、常廣は「先生、ここは木村では危険です。新名で行ってください」と、継投に関して進言してきたという。花田氏は迷ったものの、実際にマウンドで相手打者と対峙していた常廣の感覚を優先した。
結果的に2番手の新名が押し出しの四球を与え、それが決勝点となって試合には敗れたが、花田氏はここでも常廣の確かな成長を感じ取っていた。最後の夏になって、常廣は監督に対しても物怖じせず、自らの意見を申し立てることができる大人の投手へと成長を遂げたのだ。
教え子であり、大分舞鶴の後輩でもある常廣に、花田氏が望むのはただ1つ。
「勇気のある1球を投げられる投手になってほしい。来年のデビューは、渾身の初球に注目しています」
常廣が投じる1球が大分舞鶴の道となり、1勝が後輩たちの辿る道となる。
(企画・編集/YOJI-GEN)