ドラ1大学生投手の知られざる高校時代【常廣羽也斗編】 広島1位の即戦力右腕を覚醒へと導いた反骨心
ドラフトでは楽天との競合の末に、抽選で広島が常廣の交渉権を獲得。当たりくじを引いた新井監督は、その足で青学大を訪問する熱の入れようだった 【写真は共同】
青学大進学後に見せた大化けは圧巻のひと言
そう語るのは、自身も大分舞鶴OBの花田修氏(現・大分県立佐伯豊南教頭)だ。大分舞鶴は昨春、21世紀枠に選出されてセンバツに出場。これが春夏を通じて初めての甲子園だった。一方、卒業生のプロ野球選手第1号となるのが、今秋のドラフトで広島から1位指名を受けた常廣羽也斗(青山学院大)である。その常廣を、高校3年間指導してきたのが、当時監督だった花田氏だ。
「入学してきた時から『上でやりたい』と言っていましたし、早い段階で『プロに行きたい』という意思表示もしていました。ただ、私の中では『上でやりたい=大学』なんですよ。それでも、彼の成長に合わせて私の期待値が上昇していくなかで、“たしかに大学を経由すればチャンスがあるかもしれないな”と思うようになりました。とはいえ、まさかここまでになるとは……」
甲子園には縁がなかった高校時代から一転、青山学院大で見せた大化けは圧巻のひと言だった。2年春に東都リーグデビューを飾るや、いきなり高校時代の自己最速記録を7キロも更新する149キロを計測。3年春のシーズンに入って150キロの大台をあっさりクリアすると、秋には153キロにまで到達した。
4年になるとリリーフから先発に転向し、下村海翔(阪神ドラフト1位)とともに最強投手陣を形成する。そしてチームの33季ぶりとなるリーグ優勝に貢献しただけでなく、6月の全日本大学選手権では明治大との決勝に先発し、7安打10奪三振で完封。MVPと最優秀投手に輝いた。さらに大会後には、日本代表の主力として日米大学野球に出場を果たす。“まさかここまで……”とは、まさに花田氏の本心だろう。
エース益川と1つ下の代の好投手の存在
大分舞鶴から初めてプロの道へと進む常廣(後列右から3人目)。高校入学時は線が細かったが、現在に通じるしなやかなフォームに花田氏は可能性を感じていた 【大分舞鶴高校野球部友の会】
「大分シニアでプレーしていた中学3年の時点では、もっと細かったですよ。最速も128キロぐらいだったかな。ただ、今に通ずるしなやかなフォームで、指先から丁寧にリリースしている点も好感が持てました。3年時には主力にしたいなと思いましたね」
そうは言っても、当時の大分舞鶴では無理をさせる必要はまったくなかった。3年生に益川和馬という絶対的なエースが存在したからだ。益川は最速141キロのストレートとキレ味鋭いスライダーを軸とする左腕で、のちに法政大へと進んでいる。
1年秋から常廣はエースナンバーを背負ったが、2年に進級すると1つ下の代に新名凌馬(國學院大)、木村駿太朗(九州産業大)という地元の中学球界で名を馳せた投手が入ってきた。新名はスライダーの活力と投げっぷりの良さが際立つ“イケイケ系”左腕で、高校3年時には最速145キロを投げた。一方の木村は183センチ・88キロという恵まれた体格を誇る右の本格派で、高校時代の最速は144キロ。彼らはコロナで独自大会となった3年夏に、県準優勝の立役者となっている。
「中学時代はチームの3番手投手に過ぎなかった常廣ですが、大分舞鶴に進学後も益川によって高校野球のレベルを思い知らされました。さらにその後、前がかりな性格の新名や県内では知名度抜群の木村が入ってきた。油断している暇すらなかったでしょうね。それは大学に行っても同じだったはずです。同級生には下村投手をはじめ、甲子園で活躍した全国区の選手たちばかり。出番が増えたら増えたで、周りを見渡せば西舘勇陽投手(巨人ドラフト1位)や武内夏暉投手(西武ドラフト1位)ら、“東都の神セブン”と呼ばれた錚々たる顔ぶれですから。常にそうした環境にいたからこそ、常廣は反骨心を持ってここまで成長できたのです」