「敗戦後の関田さんの気持ちは理解できて…」 “苦しかった”五輪予選を西田有志が語る

田中夕子

「次のステージに行けたかな」個人としても収穫の多い大会だったと振り返った 【写真:田中夕子】

 10月上旬に開催されたバレーボールのパリ五輪予選で出場権をつかんだ男子日本代表。大会を通して高いパフォーマンスでチームを引っ張ったのが、オポジットの西田有志だ。自身も苦しんだ時期を経て、どんな気持ちで戦い抜いていたのか。大会後、五輪予選について振り返ってもらった。

――五輪予選(OQT)が終わりました。振り返って、どんな大会でしたか?

 とにかく第一に勝たないといけない大会で、その重さと戦った大会でした。ネーションズリーグで3位、アジア選手権で1位ときれいにステップアップしてきていたので、周りの方々の期待も高かったと思うし、チームでも「勝たないといけない」プレッシャーがあった。今までは必死に上のチームを追いかけてきたけれど、少しずつ結果や自信もついて、自分たちにプレッシャーをかけていたのかな、と思います。とにかく濃い日々でした。

――西田選手ご自身に目を向けると、昨年の体調不良からここまで上がってきた。大会を通して高いパフォーマンスを発揮していましたが、ご自身ではどうとらえていますか?

 次のステージに行けたのかな、というのは自分でも思います。何かひとつつかんだというか、ここまでできるんだ、という自分も見えた。大会を通じてサーブも安定していたし、スパイクもただ決まるだけでなく、ブロックされる本数も少なかった。

 正直に言うと、去年の今頃はまだ体調不良で病院通いをして血液検査をしながらも原因がわからなかった。バレーができるかできないかではなく、生きるか死ぬかという気持ちだったので、自分の中でもやっとここまで来られた、という気持ちはありますね。

――大会を振り返ると、最初の2戦はどちらもフルセット。予想とは異なるスタートでした。

 そうですよ(笑)。しかも1、2セットの展開もよかったし、自分たちでも「強くなった」と実感していました。(石川)祐希さんがなかなか決まらなくてそこは苦しかったですけど、沖縄合宿で腰を痛めてそれから十分な練習ができていないのはみんなわかっていたので、想定できた部分でもありました。

 でもフィンランド戦の3セット目から、チームとしてもそれまで機能していた形が1つずつ噛み合わなくなった。そもそも今シーズン、負けたこと自体が少なかったので、うまくいかない状況への対応力もなかったのかもしれない。特に自分たちが悪くなって崩れて負けるということがなかったので、立て直すのが難しかったのは事実です。

――最初の2戦で、いわば最悪のシチュエーションが来た。

 そうですね。祐希さんもコンディションが悪いけれどチームの象徴的存在であることに変わりはない。「ここでオリンピック(出場を)決める」と言い続けてきたので、言葉にした以上、プレッシャーも背負っていたはずです。今までは普通に決まっていた1本が決まらなかったり、決まったと思っても相手の身体に当てられたり。チームとしてバタバタしていました。

――1本で流れが変わるのを実感した。エジプト戦も第3セットに石川選手と西田選手のコンビミスがありました。

 あれは完全に僕のミスです。その前に20対23から僕のサーブで、(髙橋)藍が決めて21対23。次がサービスエースで22対23。その後に打ったサーブも相手を崩して、そのままダイレクトで返ってきたんです。前衛に宮浦(健人)さんが入っていたので、僕は宮浦さんがダイレクトで打ちにいくかもしれないと思ったけれど、ダイレクトを打つには十分じゃなかった。その時点で僕のスタートが遅くなって、アプローチが合わなくて祐希さんが上げてくれたトスに対応できませんでした。

――相手はまさかあそこでパイプとは思わない。でももっと別の選択肢もあったのでは、と見る人も多くいました。

 実際相手のブロックは1枚しかいなかったですからね。決まったらビッグプレーだったかもしれない。でもセオリーで考えれば藍か宮浦さんだった。祐希さんも実際に「やらかした」と言っていたし、僕もアプローチが遅れてミスした自分に「最悪だ」と思っていた。

 あそこで決まればサーブを打ち続けられたし、実際(サーブは)好調だった。あの1本で流れが変わってしまって、そこから崩れて負けたので、1つのプレーで一気に流れが変わる怖さを実感しました。

――まさかの敗戦、負けた直後はどんな雰囲気でしたか?

 バスの中では誰一人しゃべりませんでした。夕食の時にも関田(誠大)さんが来なかったので、すごく心配で。でも僕が声をかけにいくのは違うよな、と思っていた時に(髙橋)健太郎さんが関田さんのところへ行ってくれた。

 少し前向きになって、次の日に山内(晶大)さんと関田さんと3人でお風呂に入りながら「この大会、むずいよね」とか、何でもない話をしながら、関田さんをケアするわけでなく、自分たちもリカバリーした。関田さんが崩れたらこのチームは終わりだと思っていたし、僕は関田さんの気持ちが理解できたので。一緒にやろうよ、という気持ちでしたね。

――西田選手にも同様の経験があった。

 まさに、です。ネーションズリーグの時もそうだし、昨シーズンのVリーグもそう。誰とも話したくないけれど、でも1人でいるといろんなことを考えすぎてしまうぐらい追い詰められているから怖い。相当なストレスですよね。海外での試合ならばもう少し気軽に外を歩いてリフレッシュしたりすることもできるのですが、今回は気軽に出かけられる環境ではなくて、切り替えること自体が難しかった。

 だから少しずつ、みんなで何気ない会話をしながら切り替えて、選手同士のミーティングでは「ただシンプルに考えよう。1つのプレーで流れが変わったかもしれないけれど、みんなで戦う以上は負けたらみんなのせいで、普通にやれば俺らは勝てる。いい意味でテキトーに、もっと楽にやろうよ」という話をしました。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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