前田三夫元監督が明かす、帝京ユニフォームの誕生秘話 デザイン、着こなし、背番号の位置……これが帝京流!
背番号の位置にもこだわり
「ファンが選ぶ!高校野球・ユニフォームランキング」では7位にランクイン。前田元監督もお墨付き、大田阿斗里(左から2人目)はとてもよく似合っている 【写真:共同通信社】
ピタっというユニフォームが流行りだした頃、選手たちから「ズボンが太すぎます」と言われたことがありました。僕はあまりピッタリしていると動きにくいんじゃないかとも思うのですが、プレーに支障がない程度であれば流行のスタイルにしてもいいのかなと。それからは、過度にピッタリしすぎていない程よい形のものをメーカーさんに作ってもらうようにしました。
――背番号の付け方にはルールがあったと聞きます。
うちは「襟の一番上の部分から8センチ下に背番号の一番上がくるように縫い付ける」いう規則にしていました。背番号が肩甲骨の筋肉に乗るようにすると格好良く見えるんです。それが帝京流。それより上でも下でも格好悪くてね、しっかり揃えるようにしていたのですが、たまにそれを聞いていない選手もいまして……(笑)、そこはすぐ直させました。
――前田さんなりの着こなしのこだわりは何かありましたか?
着こなしのこだわりはないですが、一つ言うなら、春の選抜甲子園の寒い時期であっても、このユニフォームの上にジャンパーは着ませんでしたね。ルール上、ベンチ内ではコートを着てもいいんです。でも、相手校の監督さんたちは着ていても、僕は着ない。生徒が寒い中、やっているのに、監督が着ていたら締まらない。ユニフォームは鎧と一緒。着たら戦闘モード。“Teikyo”の文字を見せて戦う。ずっとそうしていました。
――前田さんから見て、思い出のある他校のユニフォーム、怖さを感じるユニフォームはありますか?
僕は千葉県で育ちましたから、中学生の頃は習志野や銚子商のユニフォームに憧れはありましたね。両校ともシンプルでしたが、強い高校のユニフォームは格好良く見えました。監督になってからで言えば、やはり、蔦文也さん率いる池田高校と、中村順司さん率いるPL学園ですね。池田はシンプルに“IKEDA”、PL学園は“PL GAKUEN”という二段の胸文字、両校とも強さも重なり強烈な印象が残っています。
前田三夫元監督にとってユニフォームとは…
この“縦縞”ユニフォームが甲子園の舞台に帰ってくることを願う高校野球ファンは多いだろう 【写真:白石永(スリーライト)】
僕はベンチ入りメンバーに“貸し出し”にして、大会が終わったら返却。全国優勝したときだけ、そのユニフォームを選手にあげていました。一時、入部した全員の選手に購入させていた時期があったのですが、「憧れの“縦縞”のユニフォームを着られた」ということで満足して、努力をしなくなる選手が出てきてしまって……。それは良くないと思い、ベンチ入り選手たちだけが着られる、ということにしました。それからは「ベンチ入りして“縦縞”を着るんだ」とみんな頑張るようになりましたね。
――ということは、全国制覇をした代の選手だけしかこのユニフォームは持っていないのですね。
そういうことになるんですが……たまにファンの方で、「このユニフォームにサインをしてください」と持ってくる人がいるんです。全国制覇したときの選手でもない人が、うちの本物のユニフォームを持って……ですよ(笑)。せっかく帝京ファンでいてくれるので、「このユニフォーム、どうしたんですか?」と聞いたりはしないですが、どこから手に入れたのか(笑)。甲子園に行くたびにユニフォームを作るので枚数はそれなりにあって、当時は枚数を数えていないところもあったので……返却しないで持っていっちゃった選手もいたのかな。あっぱれですよ(笑)。
――最後に、前田さんにとって、この“縦縞”のユニフォームはどんな存在ですか?
監督を50年やらせていただきましたが、就任3年目にこの“縦縞”にして、それから47年間一緒に戦ってきたので、愛着も思い入れもあり、相棒であり、同士みたいな存在かな。就任当初の白地にゴシック体で“TEIKYO”と入った縦縞ではないユニフォームとともに、この“縦縞”にタイガース文字で“Teikyo”と入ったユニフォームも、ずっと大事にしていきたいと思っています。
(企画構成:株式会社スリーライト)