村田諒太『折れない自分をつくる 闘う心』

村田諒太が挑んだ日本ボクシング史上最大の一戦 勝敗だけでなく「何らかのレガシーを残したい」

村田諒太

2022年4月9日に開催された村田諒太とゴロフキンの王座統一戦は,、まさに「日本ボクシング史上最大の一戦」だった 【Photo by Toru Hanai/Getty Images】

村田諒太 プロボクサー引退後、初の著書

「強さとは何か」を追い求めてきたボクサー村田諒太の『世紀の一戦』までの半年間を綴ったドキュメンタリー。
コロナ禍で 7 度の中止・延期という紆余曲折を経て、最強王者ゴロフキンとの対戦に至るまでの心の葛藤、スポーツ心理学者の田中ウルヴェ京さんと半年間にわたって続けてきたメンタルトレーニングの記録、虚栄や装飾のないありのままの村田諒太を綴った一冊から一部を抜粋して公開します。

友好ムードの記者会見で語ったこと

 2021年11月12日、僕は東京・虎ノ門ヒルズの大きなホールにしつらえられた記者会見場にいた。WBA・IBF世界ミドル級王座統一戦の発表会見が行われることになっていた。新型コロナウイルス禍の中で19年12月を最後にリングから遠ざかっていた僕にとっては、久々に大勢の前に出る機会だった。

 SNSやインターネットで情報が溢れ、いっときの流行もすぐに消費され尽くされ、忘れられていく時代だ。約2年という月日は長い。この間、テレビなどメディアにも積極的に出ることのなかった僕は、この一戦がどれほど世間の関心を集めるのか、正直、半信半疑の思いでいた。

 だが、会見場のひな壇に上がったとき、詰めかけた報道陣やテレビカメラの数を見て、この試合に対する注目や期待の高さを改めて実感した。

 僕の久々の戦線復帰ということもあっただろうが、それよりも対戦相手がゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)ということが大きかったはずだ。強豪が集うミドル級で世界タイトルマッチに通算22度勝利し、この時点で戦績は41勝(36KO)1敗1分け。勝利を逃した2試合はいずれも宿敵サウル・〝カネロ〟・アルバレス(メキシコ)との対戦による結果だが、「ゴロフキンが勝っていた」と言う評論家やファンも多い接戦だった。

 ボクシング界の世界的ビッグネームの来日という意味では、1988年と90年の2度、東京ドームでタイトル防衛戦を行った当時の統一世界ヘビー級王者、マイク・タイソン(アメリカ)以来といってよかった。

 ゴロフキンが滞在していたアメリカのフロリダとつないで行われた会見で、僕は数年ぶりに彼と〝対面〟した。海外の記者会見でよく見られるような、イベントを盛り上げるためのトラッシュトークや小競り合いなど必要としない。お互いをリスペクトした友好的なムードが漂うなかで、記者会見は進んだ。

 ゴロフキンは通訳を介して「この試合は誰もが忘れられない記憶に残る試合になるだろう。長い間交渉してきて、ついに決まったという思いだ。日本ではタイソンら世界のトップファイターだけでなく、日本の名だたるトップファイターが試合をしてきた。自分もその一員になれることを楽しみにしている。自分は同じアジアのDNAを持つ(母親が韓国にルーツのある方だそうだ)。日本のボクシングファンが喜んでくれる面白い試合ができると思う」と画面越しにあいさつした。

 続いてマイクを握った僕は「一番尊敬する選手。一緒にトレーニングさせてもらったこともあるが、彼の紳士的な対応も尊敬しています。本当に最強の選手だと思っている。戦績に負けと引き分けが1つずつあるが、この2試合も僕は勝ったと思っている。事実上全勝の選手に勝って、僕が最強だと証明したいです」と抱負を語り、さらにこう続けた。

 「これは歴史の一部だと思います。こんな大きな試合、ミドル級の試合が日本で行われることは、手前味噌だけど今後なかなか難しいと思います。この一大イベントが大成功して、今後のボクシング界、スポーツ界に寄与できれば、我々が戦う意味もより大きくなると思っています」

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