『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』

野村克也の知られざる過去 昭和末期に率いた中学野球チームに見るID野球の原型

長谷川晶一
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【写真は共同】

 野村克也がプロ野球界で名将と呼ばれる以前、中学野球で指揮を執っていたことをどれくらいの人がご存じだろうか? そのチーム「港東ムース」はとてつもなく強く、未だ破られていない全国4連覇を果たしている。野村は中学生をどのように導いたのか? そこには、ID野球の原型ともいえる教えがあった――。『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』から、一部抜粋して公開します。

異彩を放っていた「真紅のユニフォーム」

 2021(令和3)年12月11日、土曜日の午前中にもかかわらず、晴天の神宮球場には多くの野球関係者が集っていた。その前年の2月11日に84歳で天に召された偉大なる野球人のために、みなそれぞれに追悼の意を表すべく、神妙な面持ちで駆けつけたのだった。

 野村克也をしのぶ会─。

 新型コロナウイルス禍により、当初の予定から大幅に遅れての開催となった。
 かつて、氏が在籍した東京ヤクルトスワローズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、阪神タイガース、福岡ソフトバンクホークス、埼玉西武ライオンズ、そして千葉ロッテマリーンズの六球団が共同発起人となり、厳粛な雰囲気の中で会は執り行われた。

 参列者はそうそうたる顔ぶれだった。

 当時の現役監督では、この直前に日本一に輝いたばかりのヤクルト・髙津臣吾を筆頭に、巨人・原辰徳、阪神・矢野燿大、横浜・三浦大輔、楽天・石井一久、西武・辻発彦、ロッテ・井口資仁、侍ジャパン・栗山英樹 、そして「BIGBOSS」で注目の的となっていた日本ハム・新庄剛志が献花した。
 さらに、選手として、監督として、野村氏と同時代を戦った江夏豊、福本豊、田淵幸一、若松勉、山本浩二 、江本孟紀、高田繁、中畑清、古田敦也 、谷繁元信、宮本慎也……。
 右を向いても、左を見ても、日本を代表する往年の名選手が一堂に会していた。

 ホームベース付近に設置された祭壇には、生前在籍した各球団のユニフォーム姿の野村氏の写真パネルとユニフォームが飾られている。
 展示されているユニフォームは全部で七種類。
 中央の位牌から、向かって右手には選手時代に袖を通した西武、ロッテオリオンズ、南海ホークスの帽子とユニフォームが飾られ、左手には監督を務めた四球団が並んでいる。

 多くの人にとって、ヤクルト、阪神、楽天のユニフォームは見慣れたものだろう。しかし、もう一つの真紅のユニフォームはなじみのない人もいたかもしれない。
 真っ赤な生地の胸には銀色のアルファベット「SHIDAX」と染め抜かれている。
 金網にもたれかかっている野村の写真は帽子も含めて、全身赤一色だ。

 このユニフォームこそ、2002(平成14)年から05年にかけて、野村が指揮を執った社会人チーム・シダックスのものだった。

 ヤクルト監督退任後すぐに、三顧の礼をもって同じセ・リーグのチームである阪神の監督に迎えられた。しかし、栄光のヤクルト時代とは一転して、99~01年にかけての3年間では三度の最下位を経験した。
 それでも、翌02年の留任発表がなされていたものの、沙知代夫人が脱税容疑で東京地検特捜部に逮捕された01年12月6日未明、志半ばでの辞任を余儀なくされることとなった。

 この瞬間、NPBにおける野村の居場所は失われてしまった。
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著者プロフィール

1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『生と性が交錯する街 新宿二丁目』(角川新書)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

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