鳥谷敬は「怠け者」だった? 他人の目を生かしつつ“無理な人づきあい”を避けた野球人生
【写真は共同】
「カッコイイほうを選べ」「空気を読むな、自己主義で行こう!」
18年にわたるプロ野球人生で培った、自己肯定感を高める35のメソッド!
阪神、ロッテで活躍した鳥谷敬が現役時代のエピソードを踏まえて説く「人生訓」が詰まった一冊から一部を抜粋して公開します。
「他人の目」を使って自分を律する
わたし自身、多くのプロ野球選手のように、「子どもの頃から野球が大好きだった」というタイプではなく、たまたま人よりも野球が上手だったから、小学生の頃からずっと続けていただけだった。
父親はサッカー経験者だったので、わたしもサッカーが大好きだった。
小学1年生のときに柔道を始めた。野球を始めたのは小学2年生の頃のことだ。小学生時代は月・水・金曜日は柔道、週末は野球という二足のわらじを履いた。
個人競技である柔道と団体競技である野球と、それぞれの魅力があったけれど、中学生になるときに野球に専念することを決めた。シニアリーグに入ると同時に、右打ちから左打ちに変えることにした。本腰を入れて、野球に取り組むためだった。
しかし、中学時代は一気に身長が伸びたことで成長痛になり、ひざを故障してしまって満足に走ることができなくなった。ようやくレギュラーの座をつかんだものの、今度は背中の肉離れに悩まされて、満足なプレーができなくなった。
それでも野球を続けていたのだが、高校進学時には真剣に「これで野球をやめよう」と決意した。「高校では大好きなサッカーをやってみようか」、そんなことを考えたこともある。しかし、「強制はしないけれど、できれば野球を続けてほしい」という父のひと言をきっかけとして、高校でも野球を続けることを決めたのだった。
以降、早稲田大学でも野球部に入り、タイガース、ロッテマリーンズと野球ひと筋の生活を送ることになった。
怠け者で、それほど好きでもなかった野球をここまで続けることができたのは、「自分の意思」ではなく、「他人の目」のおかげだった。
現役時代、「鳥谷はすごく練習熱心だ」といわれていた。誰よりも早く球場に行き、黙々とランニングをしていたからだ。その姿が広まってくると、ますます「鳥谷はストイックだ」「練習の虫だ」と話題になるようになった。
練習をすればするほど、いい結果となって自分に跳ね返ってくるということを知っていたから、練習するのは当然のことだと思っていたが、最初に述べたように、元来は怠け者であり、「できれば球場に行きたくないな」というタイプの人間だ。
けれども、マスコミをはじめとして、ファンのあいだにまで「鳥谷は練習熱心だ」と広まってしまうと、サボったり、手を抜いたり、ましてや遅刻したりすることはできなくなる。第三者が自分のことを「練習熱心だ」と見ているのならば、その認識を自分のためにうまく利用したほうがいい。そう考えていたのだ。
連続試合出場記録が続いているときも、同様の考えだった。
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