書籍連載:本多雄一「選ばれる人になるための習慣」

本多雄一が衝撃を受けたプロ一年目 次元が違いすぎた川﨑宗則

本多雄一

一年目の衝撃

のちにメジャーでも活躍した川﨑宗則に衝撃を受けた1年目 【Getty Images】

 意気揚々と福岡に戻った僕。プロ野球はシーズンオフの時期です。すると、僕の指名を決めてくれた小川一夫さんから提案がある。

「ムネが鹿児島で身体動かしてるから、お前も行ってこないか?」

 ムネとは川﨑宗則さんのことでした。前年(2004年)の盗塁王で、ホークスの正遊撃手。そう、みんなが知る、後にメジャーリーグでも活躍するあのムネリンです。僕がテレビで見ていた人でもある。

 道具を携えて鹿児島に向かう僕。鹿児島工業高校を卒業し、プロ6年目だった川﨑さんは年齢でいえば、僕の3つ上。でも、イメージ通りの気さくな方だった。

 しかし、身体を動かしはじめると、僕は衝撃を受けます。何もかも速い。

 盗塁王なのだから、足が速いのは当然と思われるかもしれない。だけど、そういうことじゃないのです。

 走力だけじゃなく、スタートが速い。一歩目が速い。バットを振れば、スイングがとんでもなく速い。

 守備に至っては、もう、別世界です。送球が速いのは当然ですが、ボールに向かう一歩目もダッシュ力も、捕ってから送球に移る動作も、瞬間的にこなすのです。

 川﨑宗則という選手は、スピードの権化みたいな人でした。

「俺って、この世界でできんのか?」

 僕はそう思いました。次元が違いすぎたから。

 唯一、拮抗できたのは、よーいドンからの走力くらい。川﨑さんも50メートルのタイムは、僕と同じ5.90前後。

 でも、ほかはすべてが及ばない。

 それが、プロのスピードでした。

目標とする存在

 これは小川一夫さんの僕への親心みたいなものだったのだと後で思います。

 多くの新入団選手は、最初の自主トレやキャンプで、プロのレベルに驚くことになる。その驚きを克服できずに、去っていく選手も少なくない。

 でも、小川さんは、将来、川﨑さんと僕とでホークスの二遊間を担うようになってほしいと考えてくれていました。

 だから、最初に川﨑さんを僕に体感させる。驚くのも当然。プロの正遊撃手なのですから。

 深いところのボールを追い、捕って、そこから投げて、俊足の相手選手をアウトにする役割を担う人で、さらに、盗塁王。

 つまり、プロで一番スピードのある人を、僕に経験させてくれたことになります。

 しかも、川﨑宗則という人は、野球への向き合い方でも模範的な人でした。とにかく熱心で手を抜かない。野球に対して真摯。

 いつも、大きな声を出していた僕が、「プロって、こんなに声出して野球やるんだ」

 そんなことを思ったくらいで、ひたすら声をかけてくれる。本当に「野球少年」という言葉が似合う人でした。

 小川さんはそういうところも僕に知ってほしかったのかもしれません。

「これから厳しくなるよ」

 ムネさんは、僕にそうも言ってくれました。

 衝撃を受けていた僕ですが、心が折れることはなかったし、やることがぼんやりと見えていたような気がします。

 目の前の人は、僕と同じ走力のあるタイプの二遊間の選手。だったら、この人みたいなればいいのです。

 目標が見えたのだから、悩まない。心が猛烈に燃えてきたことを記憶しています。

「やってやる。当たって砕けろだ!」そんなことを思っていました。

 あの出会いがあったから、僕は選手としての方向性が見え、以後、そこで悩むことはありませんでした。キャンプインする以前に、自分で自分を知ることに至れた。
ムネさんは僕にとって、かけがえのない存在となりました。

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著者プロフィール

福岡ソフトバンクホークス⼆軍内野守備⾛塁コーチ。福岡県大野城市出身。鹿児島実業-三菱重工名古屋。 2005年より福岡ソフトバンクの黄金時代を支えたリードオフマン。 多くのファンに惜しまれながら2018年に現役を引退し、2019年より一軍内野守備走塁コーチ、現在は⼆軍内野守備⾛塁コーチを務める。 2012年より嬉野観光大使としても活躍している。 現役時代の主なタイトル ・盗塁王2回 ・ベストナイン1回 ・ゴールデングラブ賞2回

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