関係者が「ざわつく」県リーグからの全国16強 レノファ山口U-18はどう強化している?
こだわった「ギリギリの勝負」
豊富な指導経験を持つ小林慎二監督 【大島和人】
「僕の中では、サッカーって結局ギリギリのところの勝負だと思ってるんです。パリサンジェルマンみたいに個人の能力が高ければ、色々なことができます。でも拮抗していたり、こちらの力が足りなかったりしたら、(勝負を分けるのは)迫力とスピードのところですよ。綺麗に崩すって、よほどの力の差がないとできません。五分五分のところのこの勝負で、どこまで相手を押し込めるかで、高校生はかなり変わってきます。そこはあえて戦略としてやらせました」
チームの成長過程についてはこう述べる。
「まず『責任感』『丁寧にやる』といったところでしたね。まだ言わなければいけないところは沢山あるんですが、それだけでも大分変わりました。僕がいつも言ってるのは、テクニカルな話を(選手同士が)できるようになったら、もっと良くなるということです」
小林監督と山口の“縁”
実は同地のクラブチームが全国でサプライズを起こした例が、14年前にもある。それは2008年の高円宮杯全日本U-15サッカー選手権でベスト4に入ったレオーネ山口だ。当時のチームは原川力(セレッソ大阪)、清永丈瑠(ガイナーレ鳥取)、久永翼(元いわきFC)といった強烈な個を擁していた。ドリブルと近い距離間の崩しを武器に、内容面でもJクラブを圧倒するスーパー街クラブだった。
そのレオーネの監督を務めていたのが河村孝氏で、レノファの前社長だ。河村はマツダSCや横浜フリューゲルスでプレーした元選手でもある。引退後は地元に戻ってフットサルコートを整備し、育成年代のチームを立ち上げた。河村は故・宮成隆氏(2013年逝去)からレノファの代表を引き継ぎ、指導者でなく経営者としてクラブを地域リーグからJ2に押し上げた。レオーネ山口U-15も「レノファ山口U-15」に改まり今に至っている。
河村は2022年春からサガン鳥栖の取締役に移ったため入れ違いになったが、小林と河村はフリューゲルス時代のチームメイト。河村がスクールを立ち上げた直後にはクリニックの指導で山口を訪れ、また過去にも河村からレノファ入りのオファーを受けていた。小林監督と山口には、そのような関係性もあった。
原川力(C大阪)は中学生時代に河村孝・前社長の指導を受けていた 【(C)J.LEAGUE】
練習場まで40分のバス移動
一方でトップは2013年まで地域リーグを戦っていた歴史の浅いJ2クラブ。アカデミー環境整備には資金と時間が必要で、全国に出てくるクラブの“スタンダード”に比べると、レノファU-18の環境は劣る。平日の練習場は防府市と山口市徳地の2ヶ所。土でなく人工芝のグラウンドだが、どちらもバスで片道40分程度かかるという。さらに試合がない土日は、河川敷での練習を強いられる。
小林監督はこう述べる。
「難しいところだとは思うのですが、こういった大会で結果を残せば、色々な環境が少しずつでも変わるのではないか……。ということで、選手と一緒に頑張っています」
貴重な彼らの「ハングリーさ」
レノファU-18はハングリーな環境で鍛錬を積み、県リーグから下剋上を起こした。トップチームが上野展裕監督のもと、Jリーグ1年目の2015年に起こしたJ3制覇を思い出す爽快な戦いぶりだった。
日本サッカーを活気づかせるため大切なのは、このようなチームの存在だ。