連載:堀米雄斗「いままでとこれから」

堀米雄斗のスケートコミュニティ “何か変な”親友との出会いと父の教え

堀米雄斗
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プロ大会への出場

中学3年生で「KIA WORLD EXTREME GAMES」で10位になるなど、このころから大人に混じって成果を出すようになった 【株式会社KADOKAWA】

 中学校は、地元の江東区立砂町中学校に行った。相変わらず学校に行ってはまっすぐ帰ってきて、スケボーをとってパークに通う日々が続いた。

 大会にも引き続き出場して、中3のときに上海で行われた「KIA WORLD EXTREME GAMES」のバーチカル部門で、世界のベテランプロたちのなかで戦い、10位になった。

 確かそのとき出場していたなかでは最年少だったと思う。そして同じ年のAJSA(※一般社団法人日本スケートボード協会。国内競技連盟であるワールドスケートジャパンと連携して、スケートボードのガバナンスを担う団体)主催のプロツアー「DC CUP」では、右手を骨折していてできなかったトリックもあったけど、ストリートで初優勝。

 後日行われた全日本バーチカル選手権でも初優勝し、AJSA始まって以来の両種目制覇を達成した。

 この頃には大会はジュニアやアマチュア部門ではなく、プロ大会に出場するようになり、そこで結果を残せるようになってきた。

松本崇との出会い

【株式会社KADOKAWA】

 小学校時代と中学校時代で変わったのは、友達ができて、いろんなパークに友達と回るようになったこと。

 その友達の一人が、中学1年で仲良くなり、今はスケーターとして活躍している松本崇だった。

 松本とは一回も同じクラスにはならなかったけれど、学校で出会って仲良くなり、毎日市民プールに通った。松本の最初の印象は、“嘘つくヤツ”。

 仲良くなり始めのときに、「俺スケボーやったことあるから乗れるよ。それにデッキのグラフィックをスプレーで直せるんだよね」って言われたけど、直せるって意味がわからないし、「何か変だな」って思っていた。

 それで小松川公園に連れていったら、松本は全然スケボーをしないし、「ここ簡単だからやれよ」って言っても滑らなくて。

 そうしたら「本当は、スケボーできないんだよね」って白状したという、ちょっと変わったヤツだった。そうやってちょっとした嘘ばかりつくから、最初「中国語話せる」って言っていたのも嘘だと思っていたけど、親から電話がかかってきたら流暢な中国語で話していて、それは本当だったのかよ! って驚いた(笑)
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