堀米雄斗、スケートボードとの出会い 金メダリストの幼少期の記憶
幼少期の記憶
東京五輪で金メダルを獲得した堀米雄斗。幼少期からスケボーに慣れ親しんだ 【株式会社KADOKAWA】
2、3歳くらいのときの写真を見て、そういえば身近にあったかもなぁと思い出すくらい。スケーターだったお父さんの話によると、まだ歩けない赤ちゃんのときから、家から徒歩10分の小松川公園(※江東区にある大島小松川公園。公園内の一角に、地元のスケーターが集う“SSP”と呼ばれるスポットがあった)に僕を連れて滑りに行っていたという。
お母さんと結婚するときにスケボーは辞めると約束していたから、子守という名目で「ちょっと散歩に連れてくわ」と理由をつけ、お父さんが滑りたいがために連れていかれていたらしい。
そしてパークでお父さんが滑っているあいだ僕は放置され、そこに集まっているスケーターが誰かしら面倒を見てくれていた。
そうやって知らないうちからスケートボードには触れていたみたいだけど、実際にスケボーに乗った記憶があるのは、物心のついた5、6歳のとき。
家のベランダにはよくわからない工具やデッキが転がっていて、お父さんと一緒に小松川公園で練習していた記憶がある。
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6歳でスケボーに乗り始める
お父さんに連れていかれていた小松川公園にはいつも5〜6人のスケーターがいて、その大人たちがスケボーをしている姿を見て、次第に「かっこいいな」と思うようになり、自然に乗り始めた。
もちろん最初は上手くいかず、スケーターたちが乗り方を教えてくれて、たくさん転んでやっとプッシュ(※前足をデッキに乗せ、後ろ足で地面を蹴って進む基本動作)とオーリー(※デッキの後ろ部分を蹴って前方部分を上げ、デッキごとジャンプする基本技)ができるようになった。
でも、人前でコケたときはめっちゃ恥ずかしかったな。大人のスケーターたちが、転んだ僕を見てめちゃくちゃ笑うから(笑)。
そんな思いをしながら乗れるようになると、スケボーで坂を降りるのが気持ちよくて、歩くより全然楽だなーって感じて、スケボーが楽しくなった。
でもそのときは競技としての認識はなく、やっぱりただの遊び道具のひとつだったと思う。