連載:“大谷翔平の衝撃”でどう変わる? 日本人メジャーリーガーの現在と未来

前田健太が語る大谷翔平、指導者の夢「翔平は成績、技術もすごいけど……」

杉浦大介

コーチだけでなくGMの仕事にも興味が

自身の将来についても語ってくれた。日本とアメリカで多くのコーチや監督と接するなかで、いつか指導者に、との想いも芽生えたようだ 【YOJI-GEN】

――話は変わりますが、昨年末に「マエケン・ベースボール・アカデミー」という、会員制の野球講座チャンネルを立ち上げられましたね。まだまだ先の話になると思いますが、将来は指導者としての道も考えられているのでしょうか?

 自分が指導者になれるかどうかはわからないですけど、いつかやってみたいという気持ちはあります。別に監督になりたいという希望はないんですが、引退後も長く野球に携われたらいいなと。投手コーチにもすごく興味があるんです。これまで多くの指導者と出会ってきて、自分がコーチとして選手と話すならどうするかとか、こういうコーチになれたらなとか、そんなことを考えたりするようにもなりました。今のツインズの投手コーチはすごくいい人で、ああいう指導者が理想的かもしれませんね。

――指導者に興味を持つようになったきっかけは?

 年齢を重ね、アメリカでも若い選手に自分が持っている技術の話をする機会が増えてきました。そこで感じたのが、人に何かを伝えることの難しさで、そうした能力が欲しいなって思うようになったんです。子どもたちに教える時もそうですが、相手の年齢に合わせて、わかりやすく言葉にして伝える方法、技術を身に付けられたらいいなって。コーチになるために、というよりも、人にきちんと物事を伝える術を学べたら、これからの人生でもいろんな場面で役立つんじゃないかと思うんです。

――指導者になる上で、日本だけではなく、アメリカでも短くない時間を過ごしてきたことは、プラスになりそうですね。

 コーチもそうですが、実はGM(ゼネラルマネジャー)の仕事にも興味があるんです。自分がなりたいというわけではないですよ(笑)。チームを強くするために、どういう選手を補強するのか。そういったマネジメントは、見ていてすごく面白いですし、勉強になります。

 ドジャース時代を振り返ると、年俸の高い選手だけを集めれば勝てるのかって言われたら、そうでもなかったんです。他のチームを解雇された選手なんかもうまくチームに取り込んで、「ああ、こういう選手を取るんだ」って感心させられたことを覚えています。ドジャースのGM(アンドリュー・フリードマン/現在は編成部門取締役)はアメリカでもトップレベルと評価されている人なので、キャリアが終わったら一度話を聞いてみたいなと思っています。

――そんなことも考えているんですね。

 ドジャースのGMは選手の性格もしっかりと見ていて、どんなにプレーのレベルが高くても、チームに悪影響を与えるような選手は必要ないと判断するんです。だから、いなくなる選手はだいたいわかりましたね(笑)。日本の球団にはあまりGMはいないので、アメリカでその役割について勉強しておけば、将来もし指導者になった時も、役立つことがあるかもしれません。

――最後になりますが、日本ではちょうど今、春のセンバツが行われています。前田選手から、高校球児たちにメッセージがあればお願いします。

 先を見据えながら、野球に取り組んでほしいですね。僕自身、高校時代からプロになりたいという希望はあっても、当時はあまり先のことまでは考えていなかった。もちろんチームでの練習は一生懸命やっていましたけど、例えば食事面や個人でのウエイトトレーニングには、ほとんど気を配っていませんでした。今はそうした部分を選手たちに意識させている学校も増えてきたと思いますが、将来、プロ野球選手になりたいのであれば、高校3年間のためだけではなく、プロになってからのことまでイメージしながら、いろいろなことを学んでほしいですね。

――前田選手でも、PL学園時代はそこまで考えていなかったんですね。

 ウエイトトレーニングはまったくやらなかったし、平気でカップラーメンを食べたり、甘いジュースを飲んだりしていましたからね(苦笑)。若い時からちゃんとしておけば、今の自分はもっと良い選手になれていたんじゃないかって思うこともあります。そういう時間は取り戻せないですからね。高校生の今からしっかり取り組んでいれば、5年後、10年後に、必ず生きてくる。だから常に先を見て、良いものはどんどん取り入れていってほしいですね。

(企画構成:YOJI-GEN)

前田健太(まえだ・けんた)

1988年4月11日生まれ。大阪府出身。PL学園時代は1年夏と3年春に甲子園に出場。3年春はベスト4入りを果たす。2006年に高校生ドラフト1位で広島に入団。10年には最多勝など投手3冠を成し遂げ、沢村賞に輝いた。その後15年まで6年連続二桁勝利を挙げるなど、日本を代表する右腕に。15年オフにドジャースへ移籍すると、メジャー1年目からチーム最多の16勝をマーク。その後はチーム事情もあり、救援などさまざまな起用法に応えながら、17年、18年と2年連続でワールドシリーズ登板を果たした。19年も先発とリリーフで10勝を挙げると、20年は開幕前の大型トレードでツインズへ移籍。コロナ禍で短縮されたシーズンでリーグ4位タイの6勝、リーグ1位のWHIP0.75を記録し、サイ・ヤング賞の投票でもリーグ2位となった。21年はメジャー移籍後初の開幕投手も務めたが、9月に右肘を手術。そのままシーズン終了を余儀なくされた。22年はリハビリに取り組みながら、完全復活を目指す。

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著者プロフィール

東京都生まれ。日本で大学卒業と同時に渡米し、ニューヨークでフリーライターに。現在はボクシング、MLB、NBA、NFLなどを題材に執筆活動中。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボール・マガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞・電子版』など、雑誌やホームページに寄稿している。2014年10月20日に「日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価」(KKベストセラーズ)を上梓。Twitterは(http://twitter.com/daisukesugiura)

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