「どん底」を乗り越えてメダルを獲得した宇野昌磨 最終目標はオリンピックではなく、成長し続けること
ジャンプの不安から硬くなっていたフリー
「全体的に硬かった」と話すも、五輪2大会連続メダルの快挙を成し遂げた 【Getty Images】
ショートプログラムを3位と好発進して迎えた、北京五輪男子シングルフリーの演技前、宇野昌磨の気持ちはそんな方向に向いていた。
フリー『ボレロ』の冒頭で跳ぶジャンプは、平昌五輪シーズンを最後に構成から外しており、今季再び投入した4回転ループだ。今季の旺盛な意欲の象徴ともいえる4回転ループを、宇野は3.45という高い加点を得る出来栄えで成功させる。
しかし、続く4回転サルコウは4分の1回転不足と判定され、続いて得意なはずの4回転フリップでも転倒。後半に入ってからも4回転トウループの着氷が少し乱れ、3連続ジャンプで3つ目の回転が抜けるなど細かいミスが続く。ステファン・ランビエールコーチにも「全体的に硬かった」と言われたという宇野は「僕も本当にそう思います」と認めている。
「久々に、試合で硬くなるような緊張をしたのかな、というのは思います。どのような理由で緊張したかは、僕にも分からないです」
「振り返ってみれば(ジャンプの回転を)全部締めていたので、この点数でおさまったのはちゃんと練習してきて、なんとか耐えたという部分が大きかったかなと思います」
終盤、強い信頼関係で結ばれているステファン・ランビエールコーチが振り付けた濃密なステップも、勢いを落とさず滑り切る。宇野はフリーでは5位だったものの総合で3位となり、平昌五輪に続きオリンピックメダルを獲得した。
「感慨深い」4年間の道のりと、ランビエールコーチへの感謝
不調から救ってくれたランビエールコーチのプログラムを完成しきれなかったことが、「唯一の心残り」と話す 【Getty Images】
銅メダリストとしてミックスゾーンに現れた宇野が最初に口にしたのは、喜びの言葉だった。
宇野は、平昌五輪後の4年間でどん底を味わっている。幼少時より師事してきた山田満知子コーチ・樋口美穂子コーチの下を離れ、メインコーチ不在で迎えた2019-20シーズンの前半、グランプリシリーズ・フランス杯で8位に沈んだ。シニアに上がってから、GPシリーズでは必ず表彰台に上がってきた宇野にとって、経験したことのない不調に陥った。だがランビエールコーチの指導を受けるようになってから調子は上向き、現在に至っている。
ミックスゾーンで山田コーチ・樋口コーチの下を離れた時期について問われ、率直な思いを吐露した。
「僕は満知子先生・美穂子先生の下で、スケート人生を一生送るつもりでした。ただ、満知子先生は数年前から『出た方がいい』と。『もっとトップを目指すために、外に出た方がいい』と言っていただいていたんですけれども、僕には美穂子先生の下で最後までやりたいという意志があった。でも、いろんなことがあって最終的に出るという決断になり、ステファンコーチの下に行き、結果いろんなことを経て、この今のオリンピック3位という舞台に立っていること。何か、感慨深いものがあります」
続けて宇野が口にしたのは、ランビエールコーチに対する思いの深さを感じさせる言葉だった。フリー後、ランビエールコーチからはジャンプ以外の部分について指摘があったようだ。
「僕的には、オリンピック3位と別に、(今季は)もうあと1試合しかないですが、せっかくステファンが作ってくれたこの『ボレロ』を完成させたい。ステファンに『良かった』と言ってもらえるようなプログラムにしたいというのが、唯一の今の心残りです」
オリンピックの銅メダルを得てもなお、宇野が気にかけていたのは、一番苦しい時期に滑る楽しさを思い出させてくれたランビエールコーチが振り付けたプログラムを完遂できなかったことだった。