北京五輪にオールラウンダーとして臨む高木美帆 過酷な戦いを支える『全部速くなりたい』という思い

沢田聡子

「乗り切れなかった」3000mのレース

5日の女子3000mでは6位に終わった高木美帆。7日に出場の1500mでは2大会連続のメダルを狙う。 【Photo by Dean Mouhtaropoulos/Getty Images】

 専門化が進むスピードスケート界において、オールラウンダーという特別な存在である高木美帆は、3回目の五輪となる北京大会で個人の短・中・長距離、団体戦の5種目に挑む。

 スピードスケートのエース・高木は、今大会で500m、1000m、1500m、3000m、チームパシュートに出場する。その皮切りとなる3000mが5日、国家スピードスケート館で行われた。

 3組目で滑った高木は4分1秒77というタイムを出し、前半5組が終わった時点ではまだトップだった。度々高木が暫定1位であることがアナウンスされ、レースを終えて自転車をこいでいる高木の姿が会場のスクリーンに映し出される。しかし後半の組では高木を上回るタイムを出す選手が続き、メダルを獲得した3選手のタイムはすべて3分台で、最終的に高木は6位に終わっている。

 レース後のミックスゾーンでは、高木は冷静な様子だった。結果について問われ、高木は「結果が6番だったということも、そうなのですが…」と言い、言葉を継いだ。

「滑りの中で、(最初の)200m通過後の一周では、もっと速いラップタイム、スピードで入ろうと思っていたのですが、そこが出し切らなかった。乗り切れなかったところは、この3000mをここ数年やっている中で、一番できなかった部分だなというふうに思っています」

――攻めたいと言っていたが、ラップが出なかったのはどういう理由からか?

「難しいところはありますね。(レースを)全体的に評価する上で、自分がこの氷に対して迷ったという部分もあるかもしれないですし。気持ちの部分で“怯んだ”と感じていたところはないのですが、どこかにそういうものが潜んでいたのかどうかはちょっとまだ分からない部分はあって。全体的に『こうでした』と表現するのは、難しい部分があるのが現状です」

――氷に対して、どう迷ったのですか?

「(初めて国家スピードスケート館で練習した)先週よりも(氷を)かみやすくなっているというか、リンクが重たくなっているなというふうに感じたので。『かませすぎないで、リズムよく、軽めに』と思ってやったところはあるのですが、そこが最初の一周に生かしきれなかったというか。やり過ぎてしまったというところは、ひとつあるのかなと思います」

 本来中距離が得意な高木にとって、最も本領を発揮できる種目は1500mだ。高木は現在1500mの世界記録保持者でもあり、今季のワールドカップ(W杯)3戦でも全勝している。この3000mについては平昌五輪の5位よりひとつ下の順位という結果だったが、2日後の7日に行われる1500mこそ高木の本番だとも言える。

代表入りを逃したソチ五輪、強さを発揮した平昌五輪

 初めて五輪に出場した2010年バンクーバー大会の時、15歳だった高木は「スーパー中学生」と呼ばれた。代表選考会で優勝した1500mに加え、1000m、チームパシュート(補欠)の代表として臨んだ五輪だった。しかし結果は厳しく、1000mでは完走した選手中最下位、1500mは23位。パシュートには出場できないまま、高木のバンクーバー五輪は終わった。

 バンクーバー五輪では結果を残せなかったものの、まだ若い高木が期待の星であることは間違いなかった。しかし4年後、14年ソチ五輪の代表選考会で大学1年生となっていた高木は敗れ、代表から漏れている。当時の高木は自分のタイムだけに意識がいくタイプの選手で勝負師としては淡白なところがあり、本人も甘さがあったことを認めている。

 苦い経験を経て、高木は大きく変化を遂げていくことになる。15年にはスピードスケートの強豪国・オランダ出身のヨハン・デビッドコーチの教えを受けるようになり、優れた素質をさらに開花させた。18年平昌五輪は、国内代表選考会を待たずに代表に内定する絶対的な存在となって迎える。3000m、1500m、1000m、チームパシュートに出場し、1500mで銀メダル、1000mで銅メダル、チームパシュートで金メダルを獲得した。すべての色のメダルを同一大会で勝ち取るのは、夏季・冬季を通じて日本女子では五輪で初めての快挙だった。

 そして風格すら漂わせて臨む今回の北京五輪では、高木は平昌五輪で出場した4種目に加え500mでも代表に選ばれており、5種目に出場する。高木は厳しい日程の中、短・中長距離の個人種目と団体戦を戦うことになる。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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