伝説の助っ人ブライアントを訪ねて 近鉄時代の記念品は…いずれ野球殿堂博物館に寄付か
4打数連続本塁打で歴史に名を刻む
49本塁打を打った記念として贈呈された黄金バット 【丹羽政善】
惜しくもリーグ優勝を逃したが、彼はチームが最後の最後まで優勝争いする原動力となった。伝説の「10.19」(連勝すれば優勝。第1試合は勝ったが、第2試合は時間切れ引き分け)では、第2試合の8回、一時は勝ち越しとなる本塁打も放っている。
藤井寺球場の壁に貼ってあったポスターを譲り受けた 【丹羽政善】
西武は、ダブルヘッダーで1勝1分け以上なら、オリックスとロッテのダブルヘッダーの結果次第で優勝が決まる――という状況。近鉄としては絶対に負けられなかったが、第1試合でブライアントは、まず4回にソロ本塁打を放ち、4点ビハインドの6回には満塁本塁打を記録。さらに同点の8回、苦手としていた渡辺久信(現西武GM)から決勝本塁打を放ち、逆転勝ちに貢献。ブライアントひとりで、全得点をたたき出した。
第2試合も3回、1打席目に敬遠されたブライアントが、1試合目から数えて4打数連続となる勝ち越し本塁打を放つと、チームが勢いづいてそのまま連勝。2日後、リーグ優勝を決めた。ブライアントはこの年、49本塁打をマークし、リーグMVPにも選ばれている。
最多三振記録には理由がある
1989年10月12日、このバットで4打数連続本塁打を放った。オークションにかけたらいくらになる? 【丹羽政善】
インタビューの途中、打球にバックスピンをかけて、遠くへ飛ばすことはできるのか、という話になったが、その説明の際、ブライアントはおもむろにそのバットを手に取り、さらにイチローのサインボールを使って解説。ぜいたくな展開となった。
4連発を打ったときのバットとイチローのサインボールで打撃解説をしてくれた 【丹羽政善】
<日本プロ野球 シーズン最多三振記録>
1 ブライアント 204(1993) 127試合
2 ブライアント 198(1990) 108試合
3 ブライアント 187(1989) 129試合
しかし、彼に言わせれば、これには理由がある。それはスポーツナビ公式YouTubeチャンネルの中で語っているのでそちらに譲るが、大谷翔平(エンゼルス)の三振が多かったことと共通点があるようだ。よって、その対策もアドバイスしているので必見だ。
近鉄時代のユニホーム。いつか野球殿堂博物館などへの寄付も考えている 【丹羽政善】
歴代の助っ人の中でも人気、実力ともトップのふたりは今、ともにアトランタ郊外に住んでいる。ブライアントの兄がブーマーと大学の野球部でチームメートだったことから、昔からの顔なじみ。そもそもブライアントをインタビューすることになったのは、数年前、ブーマーに会ったことが縁だ。
ブライアントは日本へ行くまでブーマーが阪急でプレーしていることを知らなかったそうだが、「彼の存在は心強かった」と話す。
「日本での生活習慣、野球のことなど、試合後に食事をしながら学んだ」
もっとも、頼りすぎた結果……一杯食わされる。星野伸之(現野球評論家)を巡ってのやり取りは、彼の鉄板ネタでもあるので、それはぜひ、YouTubeチャンネルで――。
ブライアントは日本でプレーできたことへの感謝を口にした 【丹羽政善】
スポーツナビ公式YouTubeチャンネルでブライアントがプロ野球の思い出を語る【後編】