鈴木秀樹MDが語る、創設当時から続く鹿島の経営スタイル【未来へのキセキ-EPISODE 27】
鈴木秀樹MDは、病院、スポーツジム、ミュージアムなどの設置をはじめ、試合開催日以外でも常時カシマスタジアムを活用するノンフットボールビジネスを展開してきたと語る 【(C)KASHIMA ANTLERS】
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譲渡前に議論した「変えること」と「変えないこと」
譲渡を発表する2年ほど前からメルカリとコミュニケーションを取る機会を設け、最終決定を下すタイミングでは先方と非常に深い話を交わして譲渡に至りました。この譲渡において大事なことは、「経営危機に陥ったから譲渡したわけではない」というところです。アントラーズにとっては、クラブとしてさらに成長するための決断でした。
当時のことを今振り返ると、「変えること」と「変えないこと」を譲渡前にきちんと議論し、方向性を明確にできていたことは大きなポイントだったように思います。フットボールクラブに限った話ではありませんが、企業や組織の中で経営権が変わると、新たなスタートがスムーズに進まないケースがよく見受けられます。それに対し、社長の小泉(文明)と私の間では、事前にクラブの未来像について繰り返し会話を行ってきました。「フットボールを守るために何をすべきか?」。アントラーズが従来から重んじてきたこの考え方や取り組みを、より進化させ、より加速させていくことがこの譲渡の最大のテーマでした。
ですから、アントラーズが掲げてきたフットボールへの姿勢や思想をしっかりと守りながらも、よりクラブとして発展していくために必要なこと、例えば事業スキームの変化や判断スピードのアップなどは、積極的に組織の中に取り入れていきました。
――未来に向けた議論の中では、アントラーズの伝統や歴史を継承していくために11年に発表した「VISION KA41」の存在も大きかったのではないでしょうか?
まさにその通りです。世の中の経済状況が刻一刻と変化していく中、当時からアントラーズを取り巻く環境も安泰な状態が続いていくわけではないだろうと想像していました。将来、経営権がどのように移ろうが、誰が経営者を務めようが、アントラーズが目指すべき姿や進むべき方向性を明確に言語化しておこうと策定したのが、「VISION KA41」の始まりでした。
「VISION KA41」では、「Football」「Community」「Brand」「Stadium」「Dream」という5つのキーワードについて定義しました。「Dream」はアントラーズにとって恒久的なスローガンとなりますが、チームの強化、地域との関わり、選手の育成、スタジアムの活用などに関しては、この10年間でベースを形成することができたのではないかと感じています。今後はそれぞれをブラッシュアップすることにより、さらに良い方向へと進めていけるかどうかがポイントになってきます。だからこそ、創設30周年を迎えた今年10月1日に、「VISION KA41」のアップデートを発表したのです。
――特に、スタジアムを活用しながら病院、スポーツジム、ミュージアム、芝生(スポーツターフ)などの事業を展開するノンフットボールビジネスは着実に進化を遂げています。
ノンフットボールビジネスを掲げた時点で、「なぜやるのか?」という問いを数多く投げ掛けられました。しかし、当時から我々の中には明確な答えがあり、それは「フットボールを支えるため」でした。特に、この鹿行地域(アントラーズのホームタウンである鹿嶋市、潮来市、神栖市、行方市、鉾田市の5市は、旧鹿嶋郡の「鹿」と旧行方郡の「行」から「鹿行:ろっこう」と呼ばれている)でフットボールクラブを運営していく際の経営的なハンデは、過去も現在も未来も変わらないものだと捉えています。
そう考えた時に、フットボールクラブを支える入場料収入、スポンサー収入、グッズ収入という3本の収益の柱を、我々の場合は4本、5本と増やしていかなければならない。その4本目として、06年に茨城県からカシマサッカースタジアムの指定管理権を取得したタイミングで、ノンフットボールビジネスをスタートさせたのです。地域を語る上で、ホームタウンの約27万人、マーケット(スタジアムまでの移動時間100分以内の商圏)の約78万人のすべての人々が、アントラーズファン、またはフットボールファンということはあり得ません。だからこそ我々は、ノンフットボールビジネスを通じてアントラーズのファン、そしてファン以外の方々とのタッチポイントを増やしていくことを目指しました。