鈴木秀樹MDが語る、創設当時から続く鹿島の経営スタイル【未来へのキセキ-EPISODE 27】
経営方針が間違いではなかったと証明される時
2016年のクラブW杯決勝では、レアル・マドリーと熱戦を演じた。41年に向けて、鈴木MDは「世界を舞台に戦うチーム」を目指す 【写真:ロイター/アフロ】
まだ何も決まっていないのが現状です。これから議論を進め、さまざまなことを決定していく段階にあります。1993年に完成したカシマサッカースタジアムは、02年の日韓ワールドカップ開催を前に改修し、スタンドを大幅に増築しました。建設からは約30年が経過し、塩害による腐食など老朽化も進み、現在は莫大な修繕費がかかっています。どれほどかと言うと、新たなスタジアムが一つ作れてしまうくらいの費用。今後もそれを捻出し続けるというのは、決してポジティブなお金の使い方とは言えないでしょう。より効率的なお金の使い方を実現させ、スタジアムに足を運んでくれる観客の安全と安心の確保を目指し、県や市とも調整を行いながら新スタジアム構想を進めていこうという状態です。
もっとも、我々は新しいスタジアムを作りたいのではなく、新しい町づくりを進める中で、スタジアムはどうあるべきかという議論を重ねていきたいと考えています。20年後、30年後の鹿行地域はどのようになっているかと想像することが大事であり、新たな町づくりのデザイン、新たなスタジアムのあり方をたくさんの方々と議論しながら、その方向性を決めていきたいと思っています。ちょうど今は、議論を交わすためのプラットフォームの仕組みを考えている最中なのですが、町づくりもスタジアムづくりも、その過程をきっかけに未来を見つめることへつなげていけるかどうかが大事なところ。その中心にアントラーズがいられることに大きな幸せを感じていますし、近未来を予測しながら実証実験を繰り返して、新しい町とスタジアムに必要なものを探っていくことが、我々の当面の課題だと捉えています。
――企業との関わりという点では、18年にこれまでの「スポンサー」から「パートナー」へとネーミングを変更しました。
従来、クラブとパートナーは、スタジアムのピッチ上に看板を掲出しつつ、試合の勝敗を共有し合うような関係でした。でもこれからは、その関わり方が大きく変わってくるでしょう。ネーミングを変更した通り、パートナーとしてより幅広い協業が求められるようになりますし、大きなポイントは協業の成果をいかにアウトプットしていけるかという点。フットボールにおけるチームの戦術や選手に求められる資質のトレンドが変わるように、スポーツの支援の仕方も世の中の潮流に合わせて変化していきます。今や上場企業において、SDGs(持続可能な開発目標)を取り扱った文脈は欠かせず、企業価値に直結するものと言っても過言ではありません。
企業サイドとしては、ブランド価値向上のためにスタジアム内に看板を出すというスタンスから、アントラーズを通じ、「自分たちが社会の一員としてどのような役割を果たしているか」という情報を世の中に発信していくことを重視するようになっています。事業の取り組みや社会貢献実績など、発信する内容はいろいろな形がありますし、企業にとってもアントラーズにとっても、一緒に取り組んだ成果を幅広くアウトプットしていくことが、とても重要になってくるでしょう。
――パートナーとの関係性の構築や発展において、特に重視しているのはどのような点になりますか?
我々としては、パートナーとの協業によって、企業課題や地域課題をいかに解決していくかという部分がポイントになります。その協業を進めていく上で何よりも重要なのが、お互いのスキルやノウハウを適切に掛け合わせていくこと。つまり、“掛け算”ができるかどうかという点なのです。もっとも掛け算の場合、「1×1」は「1」という答えが導き出されます。協業に取り組む際、アントラーズもパートナーもそれぞれが常日頃から成長を目指していなければ掛け算によるステップアップは望めず、「1×1」では一歩も前進することができません。今の力が「1」であるならば、常にそれを「1.5」や「2」に伸ばす努力を続け、それが奏功した時にお互いの掛け算は大きなインパクトを発揮します。だから、アントラーズもパートナーも「足す」ではなく「掛ける」を意識し、お互いの成長を掛け合わせられるような努力が必要になってくると考えています。
――アントラーズの経営面において、将来的に伝承していくべき考え方やスタンスについてはどのように考えていますか?
アントラーズは、創業当時からベンチャーマインドを持って歩んできたような気がします。より現実的に表現するならば、“危機感からくるベンチャーマインド”。これがアントラーズのスタイルなのではないかと思います。だから、安定を求めるようなところがあってはいけないと思いますし、涼しい顔をしながらも、水の中では激しく手足をばたつかせてもがいているのがアントラーズの姿なのでしょう。少なくとも、私はそうやって30年間を泳ぎ切ってきました(笑)。年々、新しいスタッフが加入していますが、そのようなマインドは在籍年数にかかわらず、クラブ全体で共有し合えていると思っています。
――「VISION KA41」が示すように、アントラーズではクラブ創設50周年となる2041年を一つの節目として位置づけています。今から20年後の41年をアントラーズはどのような姿で迎えるのでしょう?
アントラーズはさまざまなことに取り組みますが、その根底には「フットボールをいかに大事に育てていくか?」という考えがあり、これを実現のためにすべてのスタッフが一生懸命、業務に取り組んでいます。その成果の一つとして、41年には世界の舞台に立っていたいなと思いますね。
もちろん簡単なことではないと思いますが、自力で国際大会への出場権を勝ち取り、そこで粉々に打ち砕かれても何度も、何度も挑んでいく。世界で戦うというのはその繰り返しでしょう。良いことばかりではなく、挫折をたくさん味わいながら、いつしか世界で戦うチームとして定着していく。これもフットボールが持つ醍醐味であり、夢ですよね。そしてそれが実現できた時こそ、アントラーズが長年にわたり取り組んできたことや、我々が「VISION KA41」で掲げた“未来に向けた経営方針”が間違いではなかったと証明される瞬間なのだと思います。
鹿島アントラーズマーケティングダイレクター。1960年生まれ、青森県八戸市出身。81年、鹿島の前身である住友金属工業(現・新日鐵住金)に入社。当時、日本サッカーリーグ(JSL)2部の同社サッカー部に加入。引退後は競技運営に携わるようになり、Jリーグ加盟後はフットボール事業業務に従事する。主要ポスト歴任し、10年に同クラブ取締役に就任。経営や事業を統括しながらクラブを支える。