創設30周年記念 鹿島アントラーズ 未来へのキセキ

鹿島らしいという言葉の根底にあるもの【未来へのキセキ-EPISODE 12】

内田知宏(報知新聞)

「今感じている悔しさが必要だった」と言われる時

小笠原の引退に伴い、19年にキャプテンの座を引き継いだ内田篤人。彼なりのアプローチで「鹿島らしさ」をチームに植え付けた 【(c)J.LEAGUE】

 その小笠原が、もう一つ大切にしていたことがある。これも鹿島らしさの一つ、「チームの一体感」だった。選手間の派閥はなく、どの選手にも居場所があるチームを目指していた。

 特に気に掛けたのはブラジル人、韓国人の助っ人たち。よく食事や趣味のゴルフに誘った。06年夏からの1年、期限付き移籍したイタリアのメッシーナで助っ人としてプレーした経験が大きかった。積極的にコミュニケーションを取り、ピッチ内の好循環につなげていった。プライドの高いブラジル人が小笠原だけではなく、他の日本人選手の言葉にも耳を傾け、プレーを試してみようとする姿は、鹿島ならではの光景だったように感じる。

 小笠原は言葉にすることは得意ではなかった。その背中を見て、17年にウニオン・ベルリン(ドイツ2部)から鹿島に復帰した内田篤人は、「満男さん、変わったね」と印象を語り、「いろいろなことを考えながら口にしている。俺も満男さんのサポートができれば」と続けた。クラブから鹿島らしさを伝えていく役割を託され、期待に応えようとした。「満男さんと同じことはできない」と言い、違ったアプローチをした。よりテクニカルな働きかけを試み、プレーの判断や選択、相手を見てプレーすること、そして勝ち方のスキルを伝えることに腐心した。

 手術を受けた右ひざから派生する負傷で、体現する機会はそう多くなかった。18年に小笠原が引退して責任感がより増す中、じくじたる思いを抱えた。時代の流れで生え抜きの中心選手が海外へと羽ばたいていく状況は、伝統継承の逆風となり、思うように引き継ぐことはできなかったかもしれない。UEFAチャンピオンズリーグで4強に入り、ワールドカップに臨む日本代表にも二度選出された男は、「俺ら鹿島だよ」の気概を忘れることなく、20年夏に引退するその時まで、鹿島らしくあり続けることを願っていた。

 今年、クラブは創設30周年を迎えた。リーグ戦では優勝争いに絡めず、ルヴァンカップも準々決勝で敗退した。16年度の天皇杯を最後に国内タイトルから遠ざかり、直近で獲得したタイトルは18年のAFC チャンピオンズリーグ。近年は望む結果を手にすることができていない。

 ただ、思い出してほしい。鹿島らしさの原点は「立ち向かう」。タイトルを取り続けることで継承してきた時代が長かった分、「鹿島らしくない」と言われるが、長い目で見れば「今感じている悔しさが必要だった」と言われる時が来る可能性がある。ポルトガル移籍前、あれだけ楽しそうにサッカーをしていた安西幸輝が、鹿島に復帰した今夏は厳しい表情でピッチを走り回っている。その姿を見て、そう感じる。

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