走ることを「生き方」につなげた大迫傑 集大成のラストランを有森裕子が解説

C-NAPS編集部

2位集団との間にあったタイミングの妙

大迫は5キロ15分台という安定したラップタイムを維持し、終盤は力強い走りを見せた 【写真は共同】

 前日の女子はあまりにスローペースでしたが、男子のレース展開にはそれほど驚きはありませんでした。ある程度の選手がふるい落とされた時点で、上位選手が動いて上がってくる。その意味では予想通りでした。ただ、キプチョゲ選手のペースの上げ方はものすごくて、人間業とは思えないものでしたね。最終的に優勝タイムは2時間8分38秒でしたが、この気候で2時間10分を切ってくるのは、本当にすごいこと。国内の選手では、よりよい気候でも2時間10分で走れない選手はたくさんいますからね。

 キプチョゲ選手が30キロから一気に上げて、5キロのラップタイムを14分28秒としました。しかし、大迫選手はそれに揺さぶられることなく自分のペースを守りました。彼はほぼ15分台前半でまとめていて、16分に落とすことは一度もありませんでした。終始ペースを維持できたのは、やはり冷静な一つひとつの判断があったからこそだと思います。

 あと一歩、2位争いの集団に食い込めなかったのは、本当に惜しかったですね。北海道大学構内を通る最後の周回で、大迫選手は必死に体を動かし、腕もよく振れていたし、いい意味で力の入った走りができていましたね。それでも差が縮まらなかったのは、前にいた2〜5位の集団も同じタイミングで力を入れたからです。

 大迫選手が最後の力を振り絞ったとき、前の彼らもまた、最後の1周でメダル狙いの意識が高まって盛り上がった状態になり、そのタイミングが一致してしまいました。「たられば」になりますが、ラスト1周に入る前に、2位集団の中の選手が後ろを振り向いて気にする瞬間があったので、そのタイミングで一度力を出して迫ることができていたら、最終的に追いつけるところまでいけたかもしれません。

 ただ、レース後には「確実に6番で粘り切ろうと思った」とコメントしていたので、ちゃんと力を出し切った上で、彼の最終的な判断がそこに落ち着いたのだろうと思います。これも状況に応じた彼の決断です。

「生きる目標」を定めるからこそ強く走れる

4年間で男子マラソン界に大きな影響をもたらした大迫は、今大会での引退を表明 【写真は共同】

 2017年のマラソン初挑戦から4年間、大迫選手は淡々と、一生懸命に、自分なりのスタイルを模索してきました。ステレオタイプではないやり方で自分のチャレンジを続けてきたことは、私から見ると羨ましく感じます。日本の定型から外れるやり方は、私たちの時代だったらもっと批判されていたと思いますしね。

 最初の頃は、私も「ちょっと変わった選手が出てきたな」と思いました(笑)。実業団がすべてだった長距離界では、彼のようなタイプは異端児でしたからね。でも、彼は自分の意志を信じて戦ってきたランナーで、しっかりと実力も伴っていて、周りを巻き込んでいける選手でした。そして、今の彼らの世代においては、彼が言う「まっすぐな思い」や、根底にある走りに対する前向きな姿勢に共感し、サポートをする企業、組織も多く惹きつけました。

 さらに、彼に賛同する同志、憧れる仲間のランナーたちもいました。一緒に戦う同志がちゃんといた上で、より大きなチャレンジができた。かつてプロになった私はそれが羨ましくもあり、今後はこういった取り組みがもっと増えてほしいと思うし、アスリートを見守り、応援し、大事にする組織が増えてほしいとも思います。

 大迫選手は明確な意志を持ち、走ることを「生き方」につなげてきたからこそ、エネルギーを本番で発揮できたのだと思います。今回は悔しい結果に終わった中村選手や服部選手も、この経験をプラスに変えて、新たな目標を持ってほしいのですが、目標というのはただ次の大会やパリ五輪のために「走る目標」ではなくて、「生きる目標」です。

 走ることを通して「生きる目標」に向かっていくからこそ、強い選手になれる。世界のトップにいる選手たちは、生きるために走っているのです。男女を問わず、必死で「生きる目標」を探す努力をしないと、今後の伸びは止まってしまうし、世界には立ち向かえないのではないでしょうか。「自分は何をしたいんだ」「なぜ自分が走るんだ」「何が足りないんだ」と自問自答しつつ、明確に自己分析をして、必死に問い続けながら、考えて、向き合って、決断をする。そういう選手に出てきてほしいし、私自身もそんな期待を抱きながら日本長距離界を応援し続けたいと思います。

有森裕子(ありもり・ゆうこ)

【株式会社アニモ】

1966年岡山県生まれ。就実高校、日本体育大学を卒業後、(株)リクルート入社。バルセロナで銀メダル、アトランタで銅メダルと五輪の女子マラソンで2大会連続となるメダルを獲得。「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。1988年、カンボジアでスポーツや教育を通した人材育成に取り組む認定NPO法人「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表理事就任。その他、国内外のマラソン大会やスポーツイベントに参加する一方、国際オリンピック委員会(IOC)スポーツと活動的社会委員会委員、日本陸上競技連盟副会長、大学スポーツ協会(UNIVAS)副会長、スペシャルオリンピックス日本理事長などの要職を務める。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞。同12月、カンボジア王国ノロドム国王陛下より、ロイヤル・モニサラボン勲章大十字を受賞。

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著者プロフィール

ビジネスとユーザーを有意的な形で結びつける、“コンテキスト思考”のコンテンツマーケティングを提供するプロフェッショナル集団。“コンテンツ傾倒”によって情報が氾濫し、差別化不全が顕在化している昨今において、コンテンツの背景にあるストーリーやメッセージ、コンセプトを重視。前後関係や文脈を意味するコンテキストを意識したコンテンツの提供に本質的な価値を見いだしている。

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