三宅宏実、5度目の五輪で「完全燃焼」 父と娘で戦い抜いた21年に終止符

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最後の五輪は記録なしで終了

記録なしに終わった5度目の五輪。試合後、現役を退く意向を示した三宅 【Getty Images】

 万感の想いを込めて持ち上げたバーベルは、無情にも記録に残る前に地面にたたきつけられた。最後の挑戦が終わった瞬間、重量挙げ女子49キロ級の三宅宏実(いちご)は肩を落とし、慣れ親しんだ五輪の舞台を後にした。

 女性アスリートとしては、2000年のシドニーと04年アテネ五輪で2大会連続金メダルを獲得した、柔道・谷亮子以来2人目となる5度目の夏季五輪。偉大な記録を打ち立てた場所は、かつてなく厳しい試練の戦いでもあった。バーベルを地面に置いた状態から、一気に頭上まで持ち上げるスナッチでは、銅メダルを獲得した16年のリオデジャネイロ五輪の時より7キロ軽い74キロを、1度目の試技でクリア。だが、そこから2キロ上乗せした76キロを2度続けて失敗し、暗雲が立ち込める。

 肩の高さまでバーベルを引き上げ、そこから下半身の力を使って真上に持ち上げるクリーン&ジャークは、これまで三宅が得意としてきた種目だった。父であり、コーチを務める義行さんは「ジャークで105キロはいけると思っていました」と、娘の仕上がりを分析していた。だが、1度目の試技に失敗したことで「気持ちの弱さが出てしまった」と三宅。続く2回目は成功したかに見えたが、頭上へ上げた時にひじの伸びが十分でなかったと判断され、失敗の判定。最後の試技も「3本目は強いと思っていたんですけど、あわてちゃったのかな」とバーベルを支えきれず。スナッチとジャークの記録をそろえることができなかったため、5度目の五輪で初の記録なしに終わった。

「スナッチは練習の中では今日が一番軽く感じていたんですが、76キロで2回も落としてしまって、弱気になってしまいました。ジャークも99キロはいけると思っていたんですが、これが試合の厳しさというか、悔しさは残りますね」

 12年ロンドンの銀、16年の銅メダルと、栄光を味わってきた五輪の戦いも、この日は改めて独特の難しさを痛感させられることとなってしまった。

精いっぱい戦い抜いた1年間の「ボーナスタイム」

 三宅家は言わずと知れたウエイトリフティング一家だ。父・義行さんは1968年メキシコ五輪の銅メダリストで、伯父の義信さんは1964年の東京、メキシコと2大会続けて金メダルを獲得している。兄の敏博さんも全日本王者に輝いた経験があり、そんな環境で育った三宅も、2000年のシドニー五輪の試合を見たことをきっかけに、これまでバーベルと向き合い続けてきた。義行コーチと二人三脚で己を鍛え抜き、1メートル47センチの小さな体でひたすらバーベルを上げ続ける日々。その末にたどり着いた5大会連続出場の金字塔は、この日の結果によって色あせるようなものではない。

 一方で、35歳となった三宅の体が限界に近づいていたのも事実だろう。腰痛を抱えながらも痛み止めを飲んで出場したリオから5年が経ち、その間にも椎間板ヘルニアや右太ももの筋肉の損傷など、数々の怪我を経験してきた。「故障はたくさんしてきましたが、今日はそんなに悪くない状態でした」と本人は話していたが、自己ベストの手前で苦闘する姿は、この5年間で味わってきた、思うように体を動かせないもどかしさを感じさせた。

 それでも、この1年の延期を前向きに捉える姿はいつも明るい三宅らしい。

「1年前だったらもっと状態は悪かったと思うんですが、この1年間長くウエイトリフティングができたことは『ボーナスタイム』のようなものだったと思います(笑)。後輩たちと一緒に練習できて、私にとってもすごくいい時間でした」

 集大成と位置付けていた、今回の東京五輪。試合後の取材対応で、改めて今大会をもって現役を退く意向を示した。本来なら20年で終わっていたはずが、よもやの21年目が待ち受けていた競技人生。

「完全燃焼ですね。しばらくは、というよりもう重いものは持たないと思います(笑)。いい時よりも悪い時の方が長かったんですが、どんな時でも周りの方に励ましてもらいました。最後に父にメダルをかけてあげたかったですけど、東京がゴールではありません。これまで以上に情熱を注ぎこめるものを見つけたいです」

 やり切ったという思いがこみ上げると同時に、あふれ出る涙は止まらなかった。

父・義行コーチは「よくここまで頑張ってきたな」

宏実を指導してきた父の義行さん(右)は「よく頑張った」と称えた 【写真は共同】

 最後の取材エリアまで隣にいた父・義行コーチは、しみじみとした表情で娘の歩みを振り返った。

「2004年のアテネは涙で終わって、5度目の東京までチャレンジすることができたのは、私にとっても大きな財産でした」

 三宅はこの延期を前向きに捉えて練習を積んできたものの、30代も半ばを迎えて筋力を保ちながら体重を49キロにキープし続けるのは、並大抵のことではない。常に一番近くで支えてきた義行コーチが、誰よりもその苦労を知っている。だからこそ「この1年間、本当によく頑張ってくれた。減量しながらトレーニングを続けていくのは本当に厳しい。食事はもちろん、日常生活の中で色んな制限を設けて21年間やってきたわけですし、『よくここまで頑張ってきたな』と言いたいです」。長く険しい戦いを終えた娘に対して、労いの言葉は尽きることがなかった。

 今後のキャリアについては未定だと三宅は語っているが、義行コーチは「どういう形になるか分かりませんが、これからもウエイトリフティングに携わっていくことになるんじゃないかな」。女子ウエイトリフティングで日本勢初の五輪メダリストとなり、東京まで走り続けた第1人者が、今後どんな形で第2の人生を迎えるのか。その決断を楽しみにしたい。

(取材・文:守田力/スポーツナビ)
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