苦しみ、もがき、進んだ萩野公介の5年 たどり着いた東京五輪での挑戦権
「負けて悔しいけど、すごく楽しかった」
盟友であり、ライバルの瀬戸(写真右)とともに、200メートル個人メドレーの代表に内定した萩野 【写真は共同】
東京五輪代表選考会を兼ねた競泳の日本選手権は8日に6日目を迎え、男子200メートル個人メドレー決勝で萩野が1分57秒43で2位となり、日本水泳連盟が定めた「五輪派遣標準記録(1分57秒98)をクリアして2位以上」という代表内定条件を満たした。すでに800メートルリレーの代表に内定していたが、個人種目での出場権も勝ち取った。1位は、2019年世界選手権の結果ですでに代表に内定している瀬戸大也(TEAM DAIYA)で、記録は1分57秒41だった。
萩野は、最初のバタフライで3位。背泳ぎで2番手に上がり、平泳ぎで先頭に出た。最後は、第4レーンの萩野、第5レーンの瀬戸のデッドヒート。終盤で瀬戸に抜かれ、0秒02差の2位となった。両者は、2016年リオデジャネイロ五輪の男子400メートル個人メドレーで萩野が金メダル、瀬戸が銅メダルを獲得し、日本に60年ぶりとなる同一種目の複数メダルをもたらした盟友であり、ライバル。
「前日にどんなレースになるかなと(瀬戸と)話をして、最後のフリーで泥仕合になるだろうと話していて、その通りになった。最後の50メートルで前に出たなと思ったんですけど、ちょっとスパートをかけるのが早かったかなと思ったら、案の定、そうだった。こういうのは、競った中での経験が培うもの。負けて悔しいけど、すごく楽しかった」(萩野)
萩野と瀬戸に期待されるのが世界トップでの争いだということを考えれば、タイムはもの足りない。最初のバタフライで力んだことを明かした萩野は「世界では56秒台で泳いでいる選手が何人もいる。56秒台を狙って泳いでいたけど、隣が空いて力んだり、スタートの浮き上がりから松本君(松本周也=中京大)に前半を(先に)行かれたり、まだまだ課題があるなと思いながら泳いだ。泳ぎをもっと安定させないといけない」と課題を挙げた。
種目を絞って五輪に懸けた
萩野は、近年スランプに陥り、思うような泳ぎができなかった 【写真は共同】
かつての萩野は、万能のイメージが強かった。2016年リオ五輪では、男子400メートル個人メドレーを日本記録で優勝し、金メダルを獲得。200メートル個人メドレーで銀メダル、800メートルリレーで銅メダルと1大会で3つのメダルを手にした。
しかし、五輪後に右ひじを手術した後も17年の世界選手権で200メートル個人メドレーの銀メダルを獲得しているが、18年からはタイムが伸び悩み、スランプに陥った。19年には日本代表合宿および日本選手権の参加を見送るに至った。
東京五輪のメダル候補が試合に出られないほどの状況となり、不安視された。その年の夏にレースへ復帰して以降、苦しみながら進んできた。今大会は現状で東京五輪出場の目標を果たすために、厳しい決断を下して、この種目に懸けてきた。五輪連覇がかかっていた男子400メートル個人メドレーを辞退。男子200メートルの背泳ぎも辞退し、男子200メートル自由形、男子200メートル個人メドレーの2種目に絞った。
最初のレースとなった男子200メートル自由形では、決勝で1分47秒72の3位。個人では五輪派遣標準記録を切れなかったが、800メートルリレーの派遣標準記録を満たして、リレーでの出場権を獲得。そして、この日の男子200メートル個人メドレーで個人種目の出場権もつかみ取った。
大きな栄光を背負うからこそ受けるプレッシャーもある。萩野の指導を担当している日本代表の平井伯昌ヘッドコーチは「五輪の金メダリストが2位で代表権かと思うかもしれませんが、個人(種目)で取れたのが心からうれしい。身体面、技術面だけでなく、精神面でも、よく、ここまで戻ってきてくれたと思う」と労った。