連載:高校ラグビー100回記念特集 〜俺たちの花園〜

レジェンド元木由記雄が語る“両校優勝” 今の学生たちには「捨てたもんじゃない」

宮崎俊哉
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両校優勝となった第68回大会。それぞれの思いが胸に去来していたのだろう 【写真:日刊スポーツ】

 大工大高2年時に高校日本一となり、明治大では3度の大学日本一に輝いた元木由記雄。入社1年目で神戸製鋼の7連覇に貢献し、トップリーグ初代MVP受賞、ワールドカップに日本代表として最多4度の出場を果たしたレジェンドが、決勝が行われずに両校優勝となった高校ラグビー第68回大会を振り返る。

オールブラックスのマネをした穴掘り特訓

 東大阪市立英田中学校入学時、先輩に「ラグビーやらんか」と誘われて断り切れず、仕方なく始めたラグビー。それでも、近くの川や野山でわんぱくに育った元木由記雄は、体の強さとスピードを武器に1年生からNo.8(ナンバーエイト)の座を獲得した。

 だが、2年生になると顧問の深田一明先生から「将来、日本代表になりたければセンターをやれ」とコンバートされた。

「日本代表と言われても全くピンときませんでしたが、先生が自分の将来のことまで気にかけてくれているのがうれしくて。その日からセンターをやりました」

 この時の恩師の一言がなければ、日本が世界に誇る“センター元木”は生まれていなかっただろう。

 中学生離れした突進力に加え、仲間を生かすパスを身に着けた元木は、国内屈指のラグビー王国・大阪でその名をとどろかせるセンターに成長。名門校・大阪工業大学高等学校(現・常翔学園高等学校)へ進学すると、そこでも1年からセンターのレギュラーポジションをつかみ取った。

 高校ラグビーの名監督・荒川博司先生率いる大工大高は3時間の過酷な練習が日課だったが、元木はさらに独自のトレーニングを続けた。河原での穴掘りだ。
 荒川先生から「オールブラックスの選手たちがやっている練習」だと聞き、元木は高校の練習場があった淀川(よどがわ)の河川敷で自分の背丈ほどの穴を掘り、底から這い上がって穴を埋め直すトレーニングを黙々と続けた。
 
 当時のことをこう振り返る。

「『そんなこと、よくやるなぁ』と言われますけど、信頼する先生が言われることですからね。2年の時に足をケガして、それから1年ぐらい、毎日、暗い中でやっていました。キツイなんて思わなかったですね。花園で優勝するため、日本代表になるため、すべてをかけていましたから、これぐらいやらなきゃダメだと思っていました」

まさかだった、決勝戦当日の朝

第68回大会で強さを見せていた大工大高。先頭が元木 【写真:本人提供】

 基本を大切に、ミスには厳しく。どんな練習でも選手たちの緊張感と集中力がズバ抜けて高かった大工大高は、元木が入学する以前に2度の全国制覇を成し遂げていたが、元木が2年生の時も激戦続きの大阪府予選を突破。全国大会でも1戦1戦、強さを増し、茗溪学園高との決勝戦に進出した。

 ところが、決勝戦当日の朝、荒川監督が選手全員を集め、重い口を開いて言った。

「昭和天皇が崩御され、決勝は中止……。両校優勝となった」
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