連載:高校ラグビー100回記念特集 〜俺たちの花園〜

名門・伏見工高の魂を今でも胸に… “花園”が日本代表・松田力也の原点

宮崎俊哉
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名門・伏見工高で育った経験が、今も松田を支えている 【撮影:長谷川拓司】

 伏見工高(現・京都工学院)で“花園”に2度出場し、帝京大では4年間大学日本一を死守。昨年、日本中を歓喜の渦に巻き込んだワールドカップでは日本代表のメンバーとして史上初のベスト8に貢献した松田力也。代表キャップ24を誇る松田が、自らのラグビー人生の「原点」と言う花園を振り返るとともに、全国大会に出場する選手たちに熱きエールを贈った。

亡き父との約束を果たした花園への道

「夢はプロ野球選手」と語っていた少年は、小学校入学前に野球チームに入ろうと思っていた。だが、近くのチームはどこも「入部は3年生から」。そこで、父・大輔さんはラグビークラブに入部させた。実は、松田の父親は「ユニチカフェニックス」に所属していた元ラガーマン。父親譲りのラグビーセンスを発揮し、メキメキと頭角を現してきた息子を、父は全国高校ラグビー大会が開催される花園ラグビー場へ誘い、毎年父子そろって観戦した。

 目の前に広がる華やかな舞台。松田はいつしかラグビーのとりこになり、花園は憧れの場所となった。そして、父親が花園に出場できず悔しい思いをしたことを知ると、「僕がお父さんを花園に連れて行ってあげるよ」と約束した。

 すると、父親はまだ小学4年生の息子を全国屈指の強豪・京都市立伏見工業高校の夏合宿に連れて行き、高校生たちの練習に参加させた。日本一を目指す超ハードな練習。とてもじゃないが小学生がついていけるハズなどなかったが、それでも少年の心に突き刺さるものがあった。

「花園というのは、これだけつらい練習をしなければ行けないところなのか。どんなに苦しくても、このお兄ちゃんたちは花園を目指すのか」

 松田にとって、花園は単なる憧れではなく、肌で感じてリアルに描ける目標となった。

 そんな父子に、突然、不幸が襲った。
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